| 鴎座作品 | |
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梟の鳴く薬効の薄れしか 長谷美知子 編物のときどき目数ときに唄 池永 英子 十回忌そしてやっぱり隼人瓜 倉本 岬 海光の襟たてて行く蜜柑山 増田 萌子 枯蓮の折れたる影のまた折れる (東京) 大根引く屁っ放り腰もよくばりも 賀状書く羊まあるくまるくなる 鱈漁夫のロシア帽にて色違い 石口りんご 森林は薄荷の味の冬時間 小川 侑子 初雪の鯉の尾につれ冥くなる 柳田 芽衣 銀杏落葉踏みしときより単細胞 杉浦 一枝 怠けぐせを飼ひならしをり草氷柱 北田はれ子 潦ポインセチアに油断して 古川 塔子 灯油売り「月の砂漠」の唄連れて 石口 栄 真珠婚のほろ酔いの菓子秋深し 大石 薫 数え日や魚眼レンズの右左 田辺 花 子守唄はトロイカ父の冬帽子 白石みずき 早稲の香と吹上観音食べに行く 豊田 北斗 綿虫の寄り道今日は左肩 山中 信 木の実雨マリア観音酔い給う 堀越 鈴子 千代紙が花嫁になり山眠る 三富みきえ 雪の山粉砂糖ふるお菓子です 愛川沙喜子 ぎんなんをつるりとむいて夫婦です 小高 沙羅 煤逃げなき夫は病みしかし傲慢 中野 由美 なが鳴きの牛が恋する霧の奥 石井 晴雨 純真は五歳児までの枇杷の花 白石 菊代 大柚子にどろぼうよけの金の鈴 工藤眞智子 木枯やぶっきらぼうの無洗米 宮澤せい子 引き算の頭の体操冬銀河 森田かりん 木の実晴鐘楼に来ておままごと 澤柳たか子 母に似て血圧上がる雪もよい 田原としお リハビリの肩を庇ひつ時雨みち 樋脇 康治 落葉しきり毒にも薬にもならない言葉 谷口 久江 白菜のあおあお月日矢のように 坂本あかね オリオン座吐く息空に瞬いて 伊波 徹 暮の市活気はじめの蛸切って 川村としえ 夕暮やぽんぽんぽんと花八手 吉田 志穂 将棋の日ロザリオ唱え回心す 佐藤 元気 かいつぶりひとりぼっちのよく潜り 金子 高遠 躓きの前掛け広げ冬菜畑 村田紀久子 このもみじ一期一会の逢瀬かな 大勝すみ子 かくれん坊上手な子です烏瓜 井戸 美子 |
鴎座とともに 松田ひろむ 梟の鳴く薬効の薄れしか 長谷美知子 眠れない悩み、あるいは痛みだろうか、薬を飲んだはずなのに夜が長く感じられる。そんなとき梟が鳴く。不安感がいやがおうにも高まる。自己をしっかりと見つめて確かな句。 梟を不安とだけ感じてはやや付き過ぎということになろうが、鬼子母神のミミズクのようにお守りにもなっていることでもわかるように、必ずしも不安とは重なっていない。ヨーロッパでは幸運を運んでくる鳥ということになっている。作者は梟に拘っているかもしれない。「ふくろふに系図以前の?大樹」もあって、これも味わい深い。 「人参の甘さが好きで老人期」になると直接的な心情の吐露だが、なかなか「老人期」とはいえないもの。それをあえて書く作者にある凄みさえ感じた。俳句とはいかに自己をさらけ出すかであるといえる句。 萩すすき暮れ残るダム「連行史」 真木 麻子 「連行」とは戦争中の朝鮮人強制連行のこと。鉱山などの労働力不足を補うために行なった。だからダム―芒と重なってわかりやすいが、「連行」は問題の「拉致」とも重なって思いが深まる。 「父祖の血の声よく透る懸け大根」「相続のひとりの行方黄落す」とも父祖への思い。あとの「行方黄落す」とややとぼけた表現が内容の重さを救っている。 葉牡丹の蘂を見ている気のゆるみ 姉崎 蕗子 なんとなく葉牡丹を見ている。その蘂を見ている。それを「気のゆるみ」といいきって思いの深い句となった。普通なら「葉牡丹の渦」というところだが、それをしないのは常套的な表現を避ける作者の心意気。 「百両へ万両の鉢運ばるる」もなんとはない面白さ。こういう句は解説の必要がないというよりも出来ない句かもしれない。それも知的な把握というよりも形象的な把握がしっかりと出来ているからなのだ。 反戦です壊さぬように牡蠣洗う 小池 都 反戦という思いが「牡蠣洗う」でいいとめられている。正直言って牡蠣を「壊さぬように洗う」というその姿は私には具体的にはわからない。これも主婦の生活感なのだろう。 「関節のゆるんでいます寒牡丹」となると、感覚だけで一句となったものの寒牡丹のあえかさが伝わればこれはこれでいいのだろう。 編物のときどき目数ときに唄 池永 英子 俳句はリズムだともいえるが、この「ときどき目数ときに唄」の弾んだリズムの軽妙さ。「ときどき」と「ときに」を重ねた音感の良さ。またまた「鴎座」に感覚のいい新星が登場した。 「冷たさの耳たぶほどに檀の実」も感覚があって実感があって納得の句。 「ミニスカートのひょろりと葱の「白美人」」は、ミニスカートと感じ取って楽しい。ちなみに「白美人」は葱の品種。長ネギより細くて白い部分が長いもの。那須などが特産となっている。 十回忌そしてやっぱり隼人瓜 倉本 岬 だれの十回忌とは書かれていないものの、隼人瓜の隼人から、男―夫と連想がつながる。やっぱり隼人瓜のようだったといえば薩摩隼人になるのか、隼人瓜の形の面白さになるのか。そのどちらであっていい。あるいは両方であっても。夫恋の句としてこれも記憶に残る一句。 「四捨五入ひつじの増える冬の夜」は「四捨五入」で楽しくなった。 海光の襟たてて行く蜜柑山 増田 萌子 海の光と蜜柑山の光の重なりが見えてくる。「襟立てて」でわかる季節感もすがすがしい。 「枯蓮の折れたる影のまた折れる」枯蓮の折れるという句はなくはないだろうが「また折れる」で独自の句となった。「大根引く屁っ放り腰もよくばりも」これも体感がないと出来ない句。 鱈漁夫のロシア帽にて色違い 石口りんご 何人かの漁夫だろう。ロシア帽といえば毛皮が多いため黒を連想するが、そうでないものもあるようだ。だからではなく、そうであるところを把握した句。 「せっかちがせっかち葱を剥くときは」これも主婦感覚の句。葱をむくときはそんなものでしょうかと思わせるところが一つの発見。もっとも葱をむくと涙が出るからだとかと、理詰めに考えては面白くない。 森林は薄荷の味の冬時間 小川 侑子 薄荷の味―冬時間という感覚は非凡。ある季節感がしっかりと書かれている。 「綿虫の重き命に帰ろうよ」は綿虫の軽さと命の重さの対比が巧み。 初雪の鯉の尾につれ冥くなる 柳田 芽衣 初雪の明るさと冥さの対比。作者の気持ちは鯉の尾のように静まっている。 「褒めことば装う鳥の十二月」は「ほめ殺し」のことかもしれないがやや難解。ただこの句の十二月が清冽に響いてくるところに惹かれた。「鳥」でなく具体的な鳥の名前を出せばいいのかもしれない。 銀杏落葉踏みしときより単細胞 杉浦 一枝 銀杏落葉の見事さに打たれた句。「単細胞」といいきった手柄。「山茶花の呼べば横向く成長期」も山茶花が子供の暗喩になっているところがいい。 ジョン・レノンの忌雪掻いて頬染めにけり 小平 湖 ビートルズのジョン・レノンへの思いが、「雪掻いて・・・」で形象化された。ジョン・レノンはその音楽活動ばかりでなく衝撃的な死によって、日本人の心に根付いてる。おそらく最近の俳句で日本人以外で詠まれることの多いのはジョン・レノンではないだろうか。何々忌を季語とすることには異論もあるが、ジョン・レノン忌が季語として扱われる時代がくるかもしれない。ジョン・レノンの死は十二月八日。 「風呂敷からこぼれる自由榠?の実」も榠?ならでの楽しさ。 怠けぐせを飼ひならしをり草氷柱 北田はれ子 「怠けぐせ」といいながら「草氷柱」できりっとしたところがいい。季語の斡旋の巧みさ。「週末の大根の芽の伸び悩み」も、自己反省の言葉だろう。彼女も急速に俳句の方法を身につけてきた。 潦ポインセチアに油断して 古川 塔子 にわたずみとポインセチアとの間隔は遠い。だから響きあう。 冬蝶のときに迷い来飛蚊症 木谷はるか 飛蚊症(ひぶんしょう)といい蝶といい、やや煩わしいものの、それが飛蚊症の思いなのだろう。 「七十路の歩くを習う冬木立」も老いのリハビリととっていいのだろう。だから「歩くを習う」が悲しい。 旧姓の川は流るるのっぺ汁 鷲田 環 郷里、実家へ帰ったときの句として読めて情景が広がる。ここは「旧姓」とあるから「のっぺ汁」はもう一工夫するところだろう。 「冬の凪地球に抱かれている感じ」凪だから「地球に抱かれている」はあたりまえだが、あたりまえでないのは「感じ」という措辞。「という感じ」のいうのは若者ことばとして、私には違和感があるが、作者はそれをさっそく取り入れた。その「感じ」がいい。 灯油売り「月の砂漠」の唄連れて 石口 栄 「灯油売り」はいまや冬の風物詩。何人の方がそれに挑戦しているが、この句はしっかりと収まった。 「どろぼう橋をころころ渡る落葉かな」も楽しい。どろぼう橋は川越の喜多院へ掛る橋。いろいろの伝承があるが、それが判らなくてもこの句は読める。そこがいいのだ。 真珠婚のほろ酔いの菓子秋深し 大石 薫 ほろ酔いの菓子とはウイスキーボンボンのようなものだろうか。三十周年の真珠婚と菓子との取り合わせがいい。原句「真珠婚」を「真珠婚の」と「の」を加えた。 今月も次の句など触れい佳句が多かった。 数え日や魚眼レンズの右左 田辺 花 子守唄はトロイカ父の冬帽子 白石みずき 早稲の香と吹上観音食べに行く 豊田 北斗 綿虫の寄り道今日は左肩 山中 信 木の実雨マリア観音酔い給う 堀越 鈴子 千代紙が花嫁になり山眠る 三富みきえ 雪の山粉砂糖ふるお菓子です 愛川沙喜子 ぎんなんをつるりとむいて夫婦です 小高 沙羅 煤逃げなき夫は病みしかし傲慢 中野 由美 なが鳴きの牛が恋する霧の奥 石井 晴雨 純真は五歳児までの枇杷の花 白石 菊代 大柚子にどろぼうよけの金の鈴 工藤眞智子 木枯やぶっきらぼうの無洗米 宮澤せい子 引き算の頭の体操冬銀河 森田かりん 木の実晴鐘楼に来ておままごと 澤柳たか子 母に似て血圧上がる雪もよい 田原としお リハビリの肩を庇ひつ時雨みち 樋脇 康治 落葉しきり毒にも薬にもならない言葉 谷口 久江 白菜のあおあお月日矢のように 坂本あかね |
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破魔矢命中それからの赤い糸 小池 都
初刷の平和をひろう一ページ (東京) そんなことするんですか鮟鱇鍋 三富みきえ 初雪や母乳の便を讃えらる 池永 英子 晴れのちめまい風邪ですか恋ですか 鷲田 環 豆叩く隣の庭の日を借りて 石井 晴雨 雪催己が乳房を抱くことも 古川 塔子 梅の香を染め分けられずじゃんけんぽん 田辺 花 二階家に薬湯満ちるお正月 蒟蒻のちぎれさまざま年用意 白菜を獲りては尻を叩きをり 坂本あかね 花入りのくず湯一人の昼が好き 元旦や千葉よりハワイ見えてくる 人日のあらジェット湯の日替りに 姉崎 蕗子 猫の餌に土混じりいる初霰 (東京) 蜜柑剥くことの楽しさ五指あれば 冬ぬくし盲導犬に綱なくて 身の丈のクリスマスツリーおばあちゃん 倉本 岬 やっぱり笑った三平堂や雪催 (東京) 十二色のひと色欠ける雪催 腰痛の腰に手をやり雪女 目覚しのいらぬ夜明けや初秩父 増田 萌子 浸し豆の嫁して緑や去年今年 (東京) 尊厳死湯豆腐吹いてひとはひと 片空を雪雲駆けるカツカレー 着ぶくれてドガの踊り子真似にけり 北田はれ子 糸瓜描くは月給四拾圓也のひと (東京) 羊日の螺子伸びきって明日は晴れ 地球儀の終りははじめ日向ぼこ 濤音の恵方に枕回しけり 山中 信 どんど焼池の緋鯉の背を焦す (静岡) 雪をんな橋も彼女の定位置か 冬麗の藍色が好きシャツ・ズボン 湯たんぽのぎざか眩しいなんでも屋 中野 由美 メロディーの出口網目の冬木立 (横浜) 尼の鏡にきのうのままの冬ざくら 影ひらひら二度寝を見舞う初雀 子規庵に猫の寝ている三が日 宮澤せい子 虎落笛ふるさと遠くしてしまう (東京) それぞれの体感温度室の花 この街のちづれか先に散る椿 双六の関所いずこも通りゃんせ 渡辺 洋子 地図にあるホームレス村冬構 (東京) 汚れなき雪の椿となりにけり お米屋の臼は百歳冬青の実 よっちゃんのπは整数冬銀河 豊田 北斗 鬼の子やトンネル冬のまあだだよ (東京) 死神のマント剥がすは耕衣かな 初句会来ぬ人を待つを恋めやも 赤城発の空っ風頬を平手打ち 石口 栄 バス座席尾?骨より冷えのぼる (東京) 寒の水五臓六腑を串刺しに 下手な句で「どうもすいません」冬座敷 ジャンボ籤くじ買う列に梟も 堀越 鈴子 笹鳴の足踏をする小数点 (東京) 柊や爪先までのDNA 黄八丈を着る糸菊の下駄の音 セーターをくぐることから朝の髪 石口りんご 合掌造りの写真はいつも雪景色 (東京) 鱈ちりや酒豪ぞろいの母の郷 誰飲みしシャネルの五番冬の寄席 霊安室を出れば普段の暮の街 工藤眞智子 括約筋強化体操冬桜 (横浜) 三角点秩父連山雪晴れる 小指ほどの裸のみみず鍬始 タマちゃーんと叫んで見たし初御空 澤柳たか子 田作りの糸引きあうも自画自賛 (東京) 小指ほどの氷柱の伸びし神の水 霜柱無意識に婆踏み散らす 冬深しシャツの釦のゆるみかな 神津ふかし 虹立つや離宮は霰降りながら (川崎) 万両の水琴窟にこぼれおり アシタバの背高きままに枯れにけり 雪吊の縄の弱りに夕日濃し 金子 高遠 気負うもの持たぬ犬連れ初詣 (東京) 破魔弓の鈴振り行かば海の見え 羽子板のあらぬ方見る写楽の眼 千両や鳥の一家が今朝も来て 愛川沙喜子 身の芯の次第に温き柚子湯かな (横浜) 声美人電話向うの咳こめり 工場の音を隣りに餅を搗く お元日他人行儀が膝並べ 大石 薫 月連れて角を曲がれば真正面 (横浜) ダンス教師時雨なか行くフリル傘 超過勤務窓のツリーはクリスマス 駅伝の二人追い抜く雪しまき 伊藤 俊子 初鴉八菅の山に声のばす (横浜) 眼のごとき池あり雪の八菅山 初護摩や護符振り立てる緋の衣 千両の実の少なくて子沢山 村田 綾香 生きかたの煮豆の時間年暮れぬ (東京) きしきしと冷え前線にミュールの娘 澄江さんへ 年忘れその横顔のうすくれない 老鴎はいづこに翔ばむ初日の出 渡辺 芳江 双子座の流星見てゐる霜柱 (東京) 鵯と眼が合うくちなしの実の影に 冬晴れや花芽にかかる真綿雲 ニュージーランドにて 牧神に会うかも羊の大夏野 関 千恵子 フィヨルド山清水にて若返る (東京) 南北が逆さの地図の青岬 元旦や地球の自転恙なく 野中 秀子 祭神も恵方も知らず初詣 (東京) ミニカーのころがる居間の目貼りかな 約束の聖樹となりしビルの窓 白石 菊代 水仙を持って新聞勧誘員 (東京) 迷いなく蝋梅と咲く寒牡丹 豆を撒くあちらこちらに福と鬼 田辺 光男 日脚伸ぶ夕陽のあたる厨窓 (横浜) 春立つ日孫の靴にも豆二つ 花豆のふっくら煮えて冬暮るる 吉田 志穂 「びっくりだ」雨戸を繰れば銀世界 (横浜) 起きぬけのくしゃみ二声猫走る 母と子のひかる枯芝でんぐり返し 辻 今日 獅子舞のカチッと受ける祝儀かな (横浜) 冬至湯の少女小振りの柚子二つ 葱甘し薬飲むこと止めました 川村としえ 林檎買う鵙もくるから歪でいい (栃木) ダム底となる村落のどんど焼 湯豆腐を掬う雑念鍋の底 大村 恭子 無き袖に津津浦浦の初日かな (東京) うつくしく束縛されし雪吊や 美顔水を商いゐたる雪女 高田きみ子 色街に男が走る師走かな (東京) 四辻に日暮駆けこむ年の暮 まだ寒し梢の梅の真白にて 鹿島 正実 枝を振る河津桜や海の荒れ (横浜) 潮騒を聞きつ昴や露天風呂 満天の凍みるしっかり生きてこそ 伊波 徹 初詣通す袖口ああ感謝 (東京) 冬薔薇見つめる先に星いくつ 拉致家族笑む正月の画像とは 金子 和江 白菜の重石どっしり母の腰 (横浜) 日脚伸ぶ手足の荒れをいたわれば 初雪の頭上に舞ひてたわむれり 大勝すみ子 初泳ぎ六十路の疲れひとしきり (東京) 初凧に勢いつけてはやしをり 小春日やにんげんだものトマトです 森田 泰子 冬木立小枝ばかりに鍋料理 (東京) 揉み治療冬の月肩いからせて 仲見世の日矢たつ暖簾木枯す 樋脇 康治 立ち話そばに子犬の冬ぬくし (東京) ぽっくり死など誰彼の冬日向 年賀状母の介護に職辞すと 本田 義成 七日粥五臓六腑を癒しけり (東京) 過去形の話ばかりにふかしいも 専制が倒れたニュース回心日 佐藤 元気 王座にはヘデロや児童福祉の日 (仙台) 建国日ムラの礎文房具 唐辛子今年の愚痴を聞いている 北澤むつみ 年惜しむガラス戸越しの猫・鴉 (東京) ほろ酔いの文字踊り出す十二月 小野田佳与 元旦を母の雑煮で迎えけり (東京) 初雪や父が連れ出す乳母車 北村 歌子 鶺鴒やトライアスロン鉄人で (東京) 霧の中残り山茶花咲き誇る 三輪 勇 初春に迎えし富士の出湯かな (東京) 葉を切って捨てるに惜しや玉かぶら 小林みつ子 |
鴎座とともに 破魔矢命中それからの赤い糸 小池 都 最近「鴎座」ではなんとなく恋の句が多いように思う。もっとも生々しいそれはではなく、やや人生の折り返し点を過ぎた感慨からくるのであろう。この句は必ずしも恋の句とは限らないが、ある出会いの確かさを「赤い糸」といってもいいのだろう。これと思える出会いがあれば、それはそれでうれしいこと。 「初刷の平和をひろう一ページ」は、アメリカの戦争準備へのいらだちなのだろう。いつのまに「平和」でなく「戦争」の言葉が氾濫するようになったのだろうか。考えることは多いが、またそれを俳句にすることも大切。それも日常の思い、現実と重なってこそのものだろう。「少年の爪先立ちや霧氷林」も「爪先立ち」が少年のある不安感を捕らえている。 そんなことするんですか鮟鱇鍋 三富みきえ この句はどのようにでも読めるところが面白く、また恐ろしい。「冬の薔薇べるさいゆとは恐ろしや」も、「べるさいゆ」といえば最近ではすっかり池田理代子の「ベルサイユのバラ」だが、それを「おそろしや」とはなかなかいえないもの。言葉と言葉の間隔が近いようで遠いところが俳句を深くしている。 これまでの「鴎座」とは違った異質の才能が登場した。 初雪や母乳の便を讃えらる 池永 英子 「母乳の便」といって、これはまっとうな俳句。それも生活感覚に支えられている。だから「讃えらる」という衒いのない言葉が生まれた。「初雪」との取り合わせも明るい。 「尾長あっと横一文字初御空」も「あっと」の措辞が効いている。 今月はここまで「鴎座」としては新人ばかりが上位を占めることになったが、もちろんベテランを含め他の方も新人にやすやすと城を明渡すことはないと信じている。 晴れのちめまい風邪ですか恋ですか 鷲田 環 このところ喘息や風邪など、病気がちの作者だが、子規の句もあるように病気に負けない気概がうれしい。この句もそんな深刻なことを少しも感じさせないお洒落な句。「羊日の子ら真っ先にカップ麺」も、四日(羊日)になってお正月料理に飽きてしまったといえば身もふたもないが楽しい句。もっとも「カップ麺」では悲しいと |