| 鴎座作品 | |
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しゃぼん玉の距離で少年仮病中 古川 塔子
百選の滴り連歌恋の座に 小池 都 青時雨わたし過保護なお母さん 鷲田 環 M駅のコーヒーでいい柿若葉 柳田 芽衣 繍(て)毬(まり)花(ばな) 朴葉寿司飯の甘きよ世の甘き 北田はれ子 花菖蒲上の花田の霧襖 柴田 菜花 |
しゃぼん玉の距離で少年仮病中 古川 塔子
思春期、青春そんな言葉が「少年仮病中」から連想される。情緒不安定な少年をしっかりと見つめている。しかし「しゃぼん玉の距離」が救いなのだろう。少年の周りには日のひかりを受けて七色に変化するしゃぼん玉が舞っているのだ。このところ作者はあえかな少年を一貫して書きつづけている。それは身辺のことでもあり、一つのテーマでもあろう。そういえば「テーマのない俳人は弱い」という言葉も思い出された。 私とはいえば太穂先生の「自然流」にならって思うがまま、テーマという言葉も忘れていた。「葉桜の果て母のことことに姑」も印象的な句。 句会後の水羊羹の震度三 小川 侑子 自信を持って句会に出した句が必ずしも評価されるとは限らない。そんな句会後の鬱積した気持ちでもあろうか。そのような思いの繰り返しはだれにでもあること。「水羊羹」が微妙に震え、それが「震度三」なのだ。「夏帯や学成り難し日に一句」も熱心に俳句に取り組んでいる作者の姿。俳句に天才、才女はいらない。地に足を付けた努力こそが尊い。その努力が実を結ぶ日は近いだろう。「芥子咲いて伝言板の以下余白」も「以下余白」が楽しい。
まくなぎの妙な道づれ孔子廟 杉浦 一枝 この句は現代俳句協会のインターネット句会でも好評だった。そこで私は「湯島聖堂あたりの場景でしょうか。うるさい「まくなぎ」がどこまでも付いてくるのです。それが孔子廟だからこそ滑稽なのです。「妙な道づれ」という表現が巧みです。」と「講評」に書いた。 嫌われものの「まくなぎ」が詩になる。それが俳句の良さなのだろう。ちなみに「まくなぎ」は「まぐなきとも。「ま」は目の意。小さい羽虫で、ヌカカの一種。めまとい。」と辞書にある。 「柏餅孟母となれぬ声をかけ」も子育て中の実感が爽やかに伝わってくる。 疑惑深まる紫色のチューリップ 中野 由美 「ゆらぐ命の午後は耳鳴り啄木忌」も自身をしっかりと見つめた句。しかし「四月馬鹿マウスどうにも動かない」のように、パソコンにも挑戦する意欲が好ましい。俳人に晩年はないと思い定めたい。 木曽ことば朴の葉寿司の包み込む 増田 萌子 「朴の葉寿司」が「木曽ことば」を包むなのだが、ここは「の」として一句がふくらんだ。これも「俳句のための文法」を学んだ成果かもしれない。「手計りの胡瓜は婆の機嫌にて」も実感があるからこそ。 カステラのざらめさりさり麦の秋 山中 信
百選の滴り連歌恋の座に 小池 都 これは郡上八幡の宗祇水のことなのだろうが、一句としてはそれと限定することもない。「恋の座」がなんとも楽しい。「老鴬や杜の都の工学部」は「工学部」が効いている。 昼顔やもう昼酒に酔っている 小高 沙羅 昼顔でなく作者が昼酒に酔っているような句。おそらくは旅あるいは心の開放感なのだろう。 「飛び込みの空中にいる水遊び」は、中原道夫の「飛込の途中たましひ遅れけり」に学んだ句かもしれないが、「水遊び」で独自の景となった。 定年の白い歯こぼれメーデー歌 森田かりん メーデーに参加したのか、メーデー歌を口ずさんだのかは別にして、メーデーへの共感が伝わる。ここは「定年の白い歯」が明るくまた実がある。 私も「晴れた五月の青空に歌声高く・・・」の歌とともに青春の思いが蘇ってきた。「クローバー足裏に柔し反戦歌」はやや「反戦歌」の景が見えてこないうらみがあった。 ぬっと来て口笛の子の眉涼し 宮澤せい子 この句も塔子さんの少年と同じような「子」であろうか。「ぬっと来て口笛」が姿。「眉涼し」は慈しみの気持ち。 青時雨わたし過保護なお母さん 鷲田 環 前出の一枝さんは「孟母になれぬ」、こちらは「過保護な」といいきった。その良さ。いずれも甘いお母さん。お子さんから「うるさい」といわれるまで「過保護」でどうぞ。この句は「青時雨」が明るい。「青時雨」は青葉どきの樹々にたまった雨がばらばらと降ること。青葉時雨、若葉雨、樹雨(きさめ)とも。情感のあるいい季語。それだけに甘いのだが。 「カップルの日本語英語白い夏」もいかにも現代的。かつてはフランス語の「アベック」、いまは英語で「カップル」というのも時代なのだ。 M駅のコーヒーでいい柿若葉 柳田 芽衣 駅のコーヒーなのだが、それを「M駅」といって一句になった。M駅つまり、いつもの駅いつもの手軽なコーヒーなのだろう。 忍冬津軽生れの寒がりで 石口りんご 津軽生れは寒さに強いという常識の逆。忍冬(スイカズラ)は夏の季語。「冬」とあって夏という、不思議な植物。と、そこまで考えるのは邪道かも。ここはやっと暑くなってという実感と受け止めたい。 「母の日の介護の四へメール飛べ」この「メール」はEメールだろう。「介護の四」といわれても句としては深刻にならないことがいいことなのかどうか。 ゆとりの日塾特訓の日子供の日 澤柳たか子 最近の「ゆとり教育」という言葉もややいかがわしい。教育関係者からは、子供の選別が進むとの指摘もある。だからこそ「ゆとりの日」は「特訓の日」それをさらに「子供の日」と畳み掛けてしっかりとした一句となった。 今月も触れたい佳句が多かった。 菖蒲園順路の順に従わず 長谷美知子 百選の水運ばるる燕の子 倉本 岬 ラジコンの戦車を跨ぎ天の川 小平 湖 繍毬花なにをせずとも病む母と 白石みずき 蜜蜂の蜜どき妻籠郵便局 姉崎 蕗子 朴葉寿司飯の甘きよ世の甘き 北田はれ子 太棹の響きとぎれず尾?骨 田辺 花 新玉葱のつるりと美肌夏至る 川村としえ 死ぬまでの十万時間蜃気楼 木谷はるか 石垣を出て石垣に蟻の国 工藤眞智子 藻の花の女ベンチに煙草吸う 樋脇 康治 子燕の果敢に孫の口達者 山根 松於 十薬を乾し上げてさあどうしょう 井戸 美子 本歌取り・類想・類句麦酒飲む 豊田 勝巳 花菖蒲上の花田の霧襖 柴田 菜花 山蛭のころりと太し仏果山 辻 今日 |
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定刻の守宮や無事の肩まで湯 工藤眞智子 門前の小僧いまごろ踊り子草 掌から掌へ山繭かそかなるぬくみ 真木 麻子 蛍まで小走りしたる胸の内 噴水の終 青葡萄サプリメントを買い足して 苦瓜の味や夫婦を続けます 川村としえ 繁り縫う長距離バスの客少な (さいたま) 本土寺のあじさい懐石立ち寄らず サポーターの顔の日の丸明易し 凌霄や京劇の詠唱てっぺんに 池永 英子 蛇逃げて気配をそこに置きざりに (東京) ほどほどという功罪の半夏生 燻し銀の一句ほしいと星まつり 盛土の墳墓に似たり青芒 坂本あかね 夏雲や携帯電話置き去りに (栃木) 汗のもの一気に脱いでひとりなる 住む人のいくたび替り青簾 丹沢連峰青田明るき日暮かな 伊藤 俊子 田草取此方に一人彼方に一人 (横浜) 掃くに惜し凌霄花の朱をガラス器に ポンポンダリア空時告げる鶏の声 蛍飛ぶ径あるところないところ 関 千恵子 蛍火の一つは母か近く舞う (東京) 蛍見の先を行く声明るくて 梅雨霧の湖に竿出す傘二つ 春疾風前科二犯の手配書に 石井 晴雨 稲孕む兆しや父の懐手 (秋田) 夕焼のまっただ中へ父葬る 春一番適齢期が逃げて行く 吊忍鏝絵二枚を家宝とし 澤柳たか子 職人町なんどバケツに燕飛ぶ (東京) 馬宿の暗きに唐箕山うつぎ 朝市のトマトの匂い伊那言葉 ハムスターに冷房あげて核家族 白石みずき 太穂の木もたれ涼風たしかめる (東京) 蛍火に命の種をもらいましょう ふらここを揺らし二人の梅雨の夜 吉田 志穂 梅雨寒や猫の毛並みの抜けきらず ひとり居の南部風鈴冴えわたる だまし絵かルネ=マグリット夏帽子 井戸 美子 縄文の蓮紅に咲き誇れ (東京) 縄文の闇より出 |
鴎座とともに
松田ひろむ
定刻の守宮や無事の肩まで湯 工藤眞智子 守宮のいる家というのは、どういうものだろうか。寮・社宅・マンション住いと経てきた私には体験がない。この句は「無事の肩まで湯」といって複雑な身辺を確かに書き止めている。守宮は気味の悪いものだが、家を守るという言い伝えもある。そんな守宮にほっとなぐさめられているのだ。俳句は自分の現実に正直なことが求められる。この一連はそうした確かさがあった。 「素通りす甘酒茶屋の多数決」「スローフード薔薇の挿木の芽吹きそむ」も軽妙。「スローフード」はファミリーレストランやハンバーガーなどファーストフードに対する言葉。伝統的な食材や料理を守ること。こんな新しい言葉と「薔薇の挿木の芽吹きそむ」というしっかりした描写が巧まずに響きあっている。俳句で「スローフード」は初見。 爪伸びすぎて前のめりの夏という 中野 由美 日常に紛れていつのまにか爪が伸びすぎていることにも気がつかなかった。それも「前のめりの夏」と自足しているのだ。積極的な生きざまが「爪」で形象化された。 「虫笑いの嬰児へメール梅雨の星」もメールが楽しい。メールという言葉も、いまでは電子メールか携帯メールのことになってしまったが、ここでは「虫笑い」が効いている。「虫笑い」については、作者の「新生児の熟睡時に見られる意味のない微笑のこと」と注があった。 梅雨に蹴るブルージャパンのふくらはぎ」はサッカーのワールドカップのことだが、こうした句がいつまで残るかはともかく今を書き止めることが好ましい。 三歳は自由首振り扇風機 倉本 岬 三歳児の姿が「首振り扇風機」と重なって明るく描かれている。そういえば扇風機ということばも扇子や団扇と同じように懐かしい言葉になってしまった。 「晴れるといいね天道虫は星ひらく」は、「星ひらく」が景と情を結びつけた言葉。
柏餅へ歯型おはじきおままごと 古川 塔子 同じく幼児の姿なのだろう。ここは「歯型」ととらえて一句となった。「おはじきおままごと」のやさしい言葉もうれしい。 「紫陽花へ朝日ちりちりきています」は感覚が素直に伝わる。ただ「葉桜や変身その一はひふへほ」となればやや興がりすぎているのかもしれない。
飲み水でなくなるところ夏の草 柳田 芽衣 なにげない叙景のようにみえるが、「飲み水でなくなるところ」という把握は鋭い。それが感覚だけでなく生活感に支えられているのだ。「生まれながらの感性」という言葉は、人間は「環境の動物」と私は考えているだけに肯定はしていないが、ここではあたかも「生れながらの」と思えるのだ。それも修練のはての自然なのだろう。 「草笛や皇后の釣如何ばかり」は、ある批判なのだろうが、それが内に秘められて深い。天皇、皇后の田植えなどというのも同じことなのだろう。 掌から掌へ山繭かそかなるぬくみ 真木 麻子 感覚といえば、この句も微妙な感覚が響いてくる。「掌から掌へ」の具象が感覚だけで終らせていないことにも注目したい。 「生涯にふるさとふたつ時鳥」は、複雑な心境だが、やや思い入れだけになってしまったようにも思う。
太宰の忌酒を好みて酔ひもせず 小池 都 この句は「酔ひもせず」が楽しい。いうまでもなくいろは歌を踏まえている。酒はいまや男性女性に関係ないのだろうが、ここは我は女と打ち出せば、なお面白い句になったように思う。 朝霧や鳶舞う下の水えくぼ 増田 萌子 ひと眠りさせてこわれて牛蛙 景のなかに作者の気持ちが「水えくぼ」「こわれて」などとすっきりと入って衒いのないすっきりした句となっている。すくすくと成長しているという言葉がそのままあてはまる。 「蛍まで小走りしたる胸の内」となれば、やや蛍の連想を出ないことが惜しまれる。 夏蝶に嗅ぎ寄られゐる肩甲骨 長谷美知子 「肩甲骨」にどのような感覚があるのだろうか。しかしその措辞で、一句が肉体感覚を持ってきた。夏蝶との出会いが楽しい。 「青い地球と言はれ続けて旱雲」も、結論を出さないないことによった味わい深くなった。 一八や抜くこともなく消火栓 石口りんご 「一八」といって「消火栓」、その取り合わせで、のびやかな一句となった。「芍薬や救急箱は傷テープ」も季語と他の文節との間合いのほどが快い。 江戸風鈴よく鳴り季語をきめかねる 森田かりん 「季語を決めかねる」と、言われてみれなるほどと思える句。ここは「江戸風鈴」の軽い音色が効いている。 「炊き出しの冷えた瓜もみ激戦区」にも注目した。「激戦区」という言葉は選挙のそれと理解して間違いはないだろう。そんな無機質な言葉を俳句にするのも作者の思いの深さ。 噴水に正面あらば風が決め 石口 栄 これもいわれてみて、噴水の正面とはと考えさせられる句。なるほど風が決めるのですね。発見に拍手。 「降りだしは//の夕立かな」の「/」を「スラッシュ」と読ませるのは、「伝統」俳人に言わせれば言語道断だろうが、やや機知に流れているとはいえ、こうした試みもあっていい。このスラッシュは、インターネットのURL(番地)の最初だから「降りだし」なのだ。 じゃがバター溶けだす鬼灯市の昼 姉崎 蕗子 鬼灯市といえば、なにやら浮かれていまうのだが、ここは「じゃがバター」に注目して地に足の着いた一句となった。 苦瓜の味や夫婦を続けます 川村としえ 夫婦とはという句は多いがこれはこれで独自の味わいがある。なお原句「苦瓜の苦味夫婦を続けてます」に添削を試みた。 甘党のよしみ蛍を手囲いに 小平 湖 「甘党のよしみ」が単純に見えて楽しい。もちろん童唄の「こっちの水は甘いそ」が背景にある。 今月も触れたい佳句が多かった。 大仏の腹からっぽや蝉の穴 宮澤せい子 衣かつぎ猫の病後はどうかしら 小高 沙羅 初キッス青実柘榴の空を向く 田辺 花 学成らず朝寝洗濯猫俳句 北田はれ子 鳶急降下文月の胸につきささる 鷲田 環 十薬や快老群れて遊びたる 堀越 鈴子 鵜篝や広重もまた玉堂も 豊田 勝巳 賞与ニュースちょっぴり拗ねて捻り花 谷口 久枝 バイキングまづは真鯵の天日干し 樋脇 康治 合歓さいて三半規管の微調整 白石 菊代 語り出す老老介護額の花 辻 今日 静けさに子を呼んでみる蟻地獄 金子 高遠 そよ風に茅花は銀の川となる 松本 静 吹き抜ける風は谷中の心太 神津ふかし 風神の袋破れし青あらし 山中 信 糸柳俳句出来そう出来なくて 木谷はるか 北斎の波で止まって金亀子 小川 侑子 青芒窓全開の「風っ子号」 渡辺 洋子 滝落ちて滝壷の魚びょしょ濡れる 田原 俊夫 千枚田一枚ごとの余り苗 松本 末生 |
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摺り切りに米一合を終戦忌 長谷美知子 | |