鴎座 2002年 1月
鴎座俳句会へ
| 鴎座作品 | |
| 石仏に魂抜かれ冬の星 工藤眞智子 一杯のコーヒー探す紅葉酔い (東京) 支えらる男の手冷たき樹胎仏 「風邪治せ」叱りし夫よ愛ですか 藁ぼっちここより星の大移動 増田 萌子 二度鳴りの時計に獅子座流星群 (東京) 山を恋ういろはに数え紅葉酒 梯子湯の毛穴に朝霧入りもして 水夫(かこ)・馬丁陸軍墓地のゆきぼたる 真木 麻子 山茶花が散るちる母に追いつけず (広島) 柚子を?ぐうしろ派兵の湾があり 山鳩ほうほう時雨来ているぼんのくぼ 満月よもはや地球は青くなく 小川 侑子 悪女の血圧力鍋の秋刀魚かな (東京) 幸運も不運もなくて冬菜漬 枯蔓を知恵の輪風が解いており まほろばの里や林檎の光り合い 森田 せつ 短日の埴輪の馬のいななけり (広島) 林檎畑抜けて縄文人に会う ふと止まる冬の噴水アンネ薔薇 拝殿に祖母ふたりいる千歳飴 柳田 芽衣 とんぼうや頭を干して河童像 (東京) 対岸で太鼓たたいて鴨の群 一室を真鶸に貸して世田谷区 霊感のない家系です八雲の忌 石口りんご こんぶたっぷり今日の二合の栗ご飯 (東京) 郁子熟るるがんこおやじの折れそうで とんぶりや大きな足は母ゆずり 故郷(こきょう)に錦飾りたくないみかん山 倉本 岬 ビンラーディンのひとりへ獅子座流星群 (東京) 電車待つ他生の縁の鉦叩き 歯の痛み忘るる妙義うら紅葉 虚子の句の墨が流るる冬信濃 姉崎 蕗子 糸塚の繭の形に冬ぬくし (東京) 松手入子を抱くようにあやすよに 伸ばし貼る膏薬は膝一葉忌 風呂吹に砂糖五グラム愛少し 小平 湖 綿虫や男一人を追いつめる (東京) 不意にわく懺悔や柚子の片えくぼ 欠け茶碗捨てず使わず一茶の忌 草の実のはじける音や指体操 杉浦 一枝 秋の河皿選る音の備前焼 (東京) 木守柿電車二両に追い越さる 河豚看板吉良邸見張る仕事あり 骨密度「良」の膝鳴るぬくめ酒 古川 塔子 引率の先生へ鳴る威し銃 (東京) 綾取りや夜間金庫に灯が点る 多国語のぶつかって来し雁の棹 コスモスの背丈に母娘嫁姑 小高 沙羅 実むらさき明日のことを誰に聞く (東京) 柿落葉三枚今日の思い出に あさがおの種を並べて満たされて からまつの針千本は黄葉して 堀越 鈴子 草の実はままごと姉妹の道の神 (東京) 自画像の眉太くあり秋無言 枯紫苑句碑に立子の声のして 神領の銀杏乱心散りぬるを 石口 栄 白菜を漬け漬け母の腰タオル (東京) 寄せ鍋や振って取り出す爪楊枝 お岩木や津軽りんごの嫁ぐまで 遠き童らサイタサイタへ虫の声 中野 由美 秋雲走るコンサイスはていねいに (横浜) 雨ぐせへ背筋伸ばして男郎花 渡船碑の空耳かしら祭り笛 冬の課外授業「肥たごってなんや」 田原 知子 聖夜へ聖夜へ「音を踏んで下さい」へ長調 (横浜) 一の酉盲導犬の人避けて 待誕祭ロイヤルベビー誕生は どこからか人の出てくる一の酉 金子 高遠 煤払う終は仁王の踏める邪鬼 (東京) 冬の蝶羽の先にて深呼吸 そむくことなき白菜を縛る紐 菊日和空也最中を漱石も 伊藤 俊子 早朝の日の筋の降るからすうり (横浜) 銀杏散る晶子の歌を口ずさみ 酔うほどにふるさと言葉霜の宿 亜浪忌や重たきニュース世界から 鷲田 環 にごり酒わたし遊子になりきって (東京) 寒菊に外湯はしごのげたの音 初恋は実らぬものねりんごの木 黄落や使いぐせつく竹帚 山根 松於 片言に助詞の増え来しちゃんちゃんこ (川崎) 一葉落つ介護ごころの裏表 熱燗や男の愚痴の骨太に 落葉掃く音を集めるように掃く 関 千恵子 いつまでもある烏瓜いつもみて (東京) くくられていても傾く冬の菊 菊花展雨の予報の外れがち 親と娘と獅子座の生れ毛糸編む 白石みずき 枯色の街が大好きコーヒー好き (東京) 出来不出来は俳句のことで根深汁 稽古日のレオタードその枯色に 観音のみやる畑に菊を抱く 中野 鯨 石仏に躓いて行く黄落期 (さいたま) きらきらと冬の河原を新体詩 愛染の背音に味噌屋味噌の湯気 屈伸の軽き朝なり石蕗の花 樋脇 康治 赤子抱くマリア地蔵の冬日かな (東京) 冬うらら並ぶ埴輪の眼差しに 軒寄せて磯のみやげ屋冬? 柚子の実の日当たりながらもがれけり 神津ふかし 菊一輪机上一巻淵明集 (川崎) 夕刊の配達遅し石蕗の花 わが墓に隣るブロッコリー畑かな ざわめきて誰もが他人十二月 宮澤せい子 冬の駅フランスパン買う若き僧 (東京) 草の実を和紙に包みて寺めぐり 漱石忌船岡山の三角点 雁の声霧に生まるる霧に消ゆ 田辺 花 宇宙より交信ありし枯蓮 (東京) 落雁の押しっくらして橋になる 段畑の顔見せ始め水烟 空っ風布屋太兵衛の満席で 木谷はるか 実むらさき乾燥花と歩をとどむ (さいたま) 尻尾まで大根使い心地よき 七五三おでんの味の定まらず 朝掘の言葉を信じ蓮根買ふ 久保 康輔 訪はずとも出雲は蕎麦を刈るころと (島根) 天上は雲なき深空柿吊るす 一枚を羽織りに戻る寒さかな カップルの奔放黄葉裏がえし 谷口 久枝 勤労感謝の日を商いてそば処 (横浜) 「川をきれいに」せせらぎのぞく烏瓜 港まで黄落を往く路線バス 古稀近きプール通いの夜長にて 野中 秀子 咳込諍いの間を外されし (東京) 初冬やはじめて座席ゆずらるる 実千両貧乏症の抜けぬまま 口笛の金髪少年枯野行く 村田紀久子 流れ星尖りし先は未知の海 (東京) 姫誕生堀の白鳥岸に寄り 花アロエ扉の鈴鳴りて美容室 朝倉彫塑館にて二句 小春日や鯉のゆらゆら陶の椅子 井戸 美子 猫好きが猫十五態冬ぬくし (東京) 黄落や鳥居のかげの太り猫 新種か黄系セントポーリヤ面白い かばかりの雨の重たき菜を間引く 大村 恭子 而するユーモア交え鰯雲 (東京) 十三夜いちばん好きな切手貼る 黒酢飴なめて咳こむ白露の日 梨の実や玩具一度も買はず老ゆ 川村としえ 減反や職失うは案山子にも (栃木) 一族の墓の寄り立つ菊日和 牧閉ざす硝子クリーナーとは白き泡 小鳥らに切らせてもらう実南天 北田はれ子 猫に声かけてはじまる師走の日 (東京) 枇杷の花突然主婦になりにけり 鴎座へのど飴の缶四拍子 池永 英子 迷いでて神社その裏藪柑子 (東京) 声高がマーチとなりて寒夜の来 葉牡丹を植えゆく素手の社守 坂本あかね 柵くぐる猫の太っちょお茶の花 (栃木) 犬ねむる奥の暗がり大根漬 熟柿をついばむ小鳥番かな 金子 和江 風の日のアフガン編の犬毛糸 (横浜) 枝にさすみかん半分目白来る 花八手猫追いかけて追いつめて 松村 朋 銀杏黄葉こらえる涙溢れ出す (埼玉) 笛吹川の貴船権現帰り花 日めくりの軽みの柱三の酉 辻 今日 寒ざくろの亀裂西日をたたみこみ (横浜) 鍋のふた煮かえす大根べっこう色 立冬の今朝の挨拶手を揉みて 鹿島 正実 鍬の柄に蝶止まりいる小春かな (横浜) 柿の実の一つ残して母の声 雑踏に秋を待ちくる人のあり 森田 泰子 里芋のふつふつ煮ゆる時を待つ (東京) 冬鳥の胸毛吹かせてひと休み 秋茜垣の高さをいただきし 湯浅よしみ 動かざるバッタの前に来て休む (東京) 悪臭の川の天女の百合鴎 流星や光の筆の鋭さに 大勝すみ子 寒凪の海半島に抱かれをり (東京) 紅さして良き子となりし七五三 萩刈るや裏庭少し広くなり 吉田 志穂 昨夜の雨の雫しており枯尾花 (横浜) 肌寒し山?子の色濃くなれば 二の酉のいつもの昆布買いにけり 竹内志摩子 こころ病みし友の電話や冬の星 (横浜) 冬りんご津軽信濃と賜わりぬ 蓑虫の機嫌は糸の長さにも 松本 末生 木の実踏む音の小さきベビー服 (東京) 草原に丸書くだけの草相撲 銀杏や「ダリの時計」の溶け初め 白石 菊代 三歳の瞳いっぱい林檎かな (東京) 凍星や迷路の出口見つからぬ 散らばりぬ落葉の色はとりどりに 久保 祥子 冬ざれの水に尾をひく鴨の群 (島根) 一両の電車過ぎ行く冬夕焼 冬水車乙女の声のさざなみに 豊田 勝巳 冬を抱き水車ごとりとひと休み (東京) 城跡につまずく老いを冬の苔 破れ駕籠お吉十七墓の菊 岩田きみ江 秋晴れや講釈付きの土産売り (東京) 手打蕎麦またのお越しを秋の旅 冬日射す椎の主木の枝落し 江川 邑節 バーベキューの牡蠣じゅじゅわーと少年院 (東京) 長き夜や光源氏が来ることも 小林みつ子 冬温しバスに揺られし夢の国 (東京) 駿河路の我が名はふじ子木守柿 大貫ふじ子 もみじ越し流れの角の立ち話 (東京) 犬ずれの人集まりて野菊咲く 三宅 優子 落葉みちわが肩貸して夫の歩 (東京) 母の声漬物桶の神無月 久保 貞子 干し大根日のいろ沁みるときばかり (東京) |
石仏に魂抜かれ冬の星 工藤眞智子 信州青木村の修那羅峠の石仏はそれぞれに強烈な印象を残したに違いない。それは菊池志乃さんの吟行記に詳しいが、江戸時代の庶民の信仰が、形にとらわれない、さまざまな神仏となっていた。 眞智子さんのこの句は「魂抜かれ」がいい得て妙。 たまたま初冬の峠だったが、冬の星の光も石仏に降り注いでいるのだろう。「紅葉酔い」も同じく感動の形象。 「風邪治せ」叱りし夫よ愛ですか 眞智子さんは去る十二月、最愛の夫を突然失われた。「風邪治せ」の句は、そんな不幸を予感することも出来ないが、いまとなっては、ことさらに味わい深いものがある。 藁ぼっちここより星の大移動 増田 萌子 星がいっぱいの故郷であろうか。あえかともいえる藁ぼっちに焦点をあてて、そこから星が大移動ととらえる。小と大の対比というより、宇宙のなにかが心に響いてくる。 「梯子湯の毛穴に朝霧入りもして」は、信州別所温泉の外湯めぐり。「毛穴に朝霧入りもして」が繊細な把握。とらわれない心が生んだ的確な言葉。 水夫・馬丁陸軍墓地のゆきぼたる 真木麻子 真木さんから「広島市内に比治山という小山があります。旧ABCC、放影研、陸軍墓地、最近では近代美術館ができ、いま岡本太郎展をやっています」とお便りをいただいた。陸軍墓地は、知られた大将や中将という墓もあるだろうが、作者は水夫・馬丁と呼ばれた墓に舞う雪螢に心を惹かれている。 「山茶花が散るちる母に追いつけず」「柚子を?ぐうしろ派兵の湾があり」も、きな臭いに眼を向けつつ、母や柚子への思いと重ね合わせているのだろう。 満月よもはや地球は青くなく 小川 侑子 地球は青かった」は、旧ソ連の宇宙飛行士の言葉だったが、月は原初の輝きの中にあって「地球は青くなく」が生の言葉であっても、てらいのない叫びとして響いてくる。 「悪女の血圧力鍋の秋刀魚かな」は、「悪女」というほどでもなく、単なる調理のことだろうが、ふと詩人石垣りんの「シジミ」の「夜が明けたら ドレモコレモミンナクッテヤル」というフレーズを思い出したりもした。侑子さんは圧力鍋から「悪女」を連想する詩人なのだ。 まほろばの里や林檎の光り合い 森田 せつ 短日の埴輪の馬のいななけり 林檎畑抜けて縄文人に会う 縄文時代の古墳の一連だろうが、のびやかな抒情が素直に伝わってくる。「光り合い」「いななけり」がそうした情を確かに伝えている。三句目の「抜けて―会う」の動詞の重なりはやや気になった。ここは「縄文人の○○」と名詞で止めたいところ。初投句の作者だがその感覚の素直さに心躍る。 拝殿に祖母ふたりいる千歳飴 柳田 芽衣 なんでもない日常の景が「祖母ふたりいる」といわれてイメージがふくらむ。そういえば父母それぞれに祖父祖母がいる。そんなことを思い出させるのも作品の手柄。 「対岸で太鼓たたいて鴨の群」「一室を真鶸に貸して世田谷区」どれも、現実になさそうでありそうで、つまり現実のどこを切り取るかが、作者の感覚というものであろう。 霊感のない家系です八雲の忌 石口りんご 霊感のある家系というのもないだろうが、「霊感のない」といいきって、八雲の忌と微妙に響きあう。この場合「です」という言葉が生きている。 いうまでもなく八雲はラフカディオ・ハーン。(一八五〇―一九〇四)著書に「東の国から」「心」「仏の畑の落ち穂」「異国情趣と回顧」「霊の日本」「影」「日本雑記」「骨董」「怪談」などがある。 「とんぶりや大きな足は母ゆずり」もさっぱりと快い。 故郷に錦飾りたくないみかん山 倉本 岬 「故郷に錦を飾る」は、これまで人生の目標であったはずだ。少なくとも男にとっては。しかしいまや故郷自体がなくなりつつある時代でもある。 広島という彼女の故郷自体がどうなっているかはともかく、ただただ広がる「みかん山」に立っての、故郷への愛憎でもあろうか。ともあれ一茶の「古郷は蝿まで人をさしにけり」「古郷やよるも障るも茨(ばら)の花」ではない明るさに救われる。 「ビンラーディンのひとりへ獅子座流星群」、アフガニスタンへのアメリカの報復戦争は、すでにさまざまに詠まれたが、多くは俳句以前のもの。しかし彼女は「がっくり折れる向日葵そして摩天楼」にしても、しっかりと俳句になっていた。ここで注目したいのは、彼女にとって俳句は、政治的あるいは道徳的な善悪を超えて「在る」ということなのだ。 多くの影武者がいるから「ビンラーディンの一人」なのだが、獅子座流星群を見るビンラーディンは、ひとりの人間として孤独を噛み締めている。自明の善悪論を超えるのも俳句。 欠け茶碗捨てず使わず一茶の忌 小平 湖 一茶ほど現代に共感される俳人はいないだろう。偶像は絶えず破壊されるが「やれ打つな蝿が手を擦る足をする」のイメージを一新し、強欲で偏屈で色欲の強い一茶像にしたのは金子兜太であり井上ひさしだった。 そんな一茶に「欠け茶碗」がふさわしく、また作者の生活の思いがそれに重なってくる。 「風呂吹に砂糖五グラム愛少し」は、楽しい句だが欲をいえば砂糖でないほうが、本当の愛かもしれない。 「綿虫や男一人を追いつめる」は、寺田京子の「樹氷林男追うには息足らぬ」を踏まえた句。 虚子の句の墨が流るる冬信濃 姉崎 蕗子 信濃一連の一句。信濃は虚子の墨跡のように単色で彩られて行く冬。虚子の句と向き合っている作者。 河豚看板吉良邸見張る仕事あり 杉浦 一枝 河豚看板というのは河豚提灯の類だろうか、ふらふら揺れる冬の風物詩でもあるが、なるほど吉良屋敷を見張っていたのか。「仕事あり」ととぼけたところが楽しい。「秋の河皿選る音の備前焼」なども爽やか。 その他触れたかった佳句をあげる。 骨密度「良」の膝鳴るぬくめ酒 古川 塔子 実むらさき明日のことを誰に聞く 小高 沙羅 からまつの針千本は黄葉して 堀越 鈴子 神領の銀杏乱心散りぬるを 石口 栄 遠き童らサイタサイタへ虫の声 中野 由実 聖夜へ聖夜へ「音を踏んで下さい」へ長調 田原 知子 どこからか人の出てくる一の酉 金子 高遠 菊日和空也最中を漱石も 伊藤 俊子 初恋は実らぬものねりんごの木 鷲田 環 片言に助詞の増え来しちゃんちゃんこ 山根松於 落葉掃く音を集めるように掃く 関 千恵子 親と娘と獅子座の生れ毛糸編む 白石みずき きらきらと冬の河原を新体詩 中野 鯨 宇宙より交信ありし枯蓮 田辺 花 空っ風布屋太兵衛の満席で 木谷はるか 訪はずとも出雲は蕎麦を刈るころと 久保康輔 猫好きが猫十五態冬ぬくし 井戸 美子 かばかりの雨の重たき菜を間引く 大村 恭子 梨の実や玩具一度も買はず老ゆ 川村としえ 枇杷の花突然主婦になりにけり 北田はれ子 鴎座へのど飴の缶四拍子 池永 英子 柵くぐる猫の太っちょお茶の花 坂本あかね 日めくりの軽みの柱三の酉 辻 今日 蓑虫の機嫌は糸の長さにも 松本 末生 銀杏や「ダリの時計」の溶け初め 白石 菊代 |
| 鴎座作品 | |
| ポインセチア遥かなる日は御名(ぎょめい)御璽(ぎょじ) 木谷はるか Sみかん詰め放題と言われても (さいたま) 十二月象形文字の馬の目が 手をつなぐ夫婦と知らず冬の月 天上天下冬の噴水音立てて 倉本 岬 根菜はやや弱火にて年の暮 (東京) 隠れ肥満といわれてみれば寒の月 息すっきりのガムがポケット雪催 「もういいかい」だれも答えぬ開戦日 古川 塔子 病後もう勝ち気きかんき竜の玉 (東京) 落葉踏む先へ先へと又三郎 乾燥肌の雨の翌日白鳥来 餌投げてわたしの指の冬鴎 増田 萌子 風邪熱の五感に振れる誕生日 (東京) ババロアの山茶花添えて微熱の夜 「また雪か」つぶやく母の朝のお茶 ずわい蟹好きで中流以下のずれ 鷲田 環 大根引く準備体操整えて (東京) 朴落葉ここより先は石仏へ てっちりやドメスティックバイオレンスってなんや 次郎吉墓がお控えなすって竹の春 柳田 芽衣 弁財天の息かかりたるかいつぶり (東京) 神在(いま)す朱欒軍隊行進曲 石神井のむかし新田冬の川 差出人の大字小字林檎着く 石口りんご 蛇穴に今日着る服を赤に決め (東京) 実母より虐待さるる冬林檎 少年の日の空白埋めし紅りんご 諍いは娘の進路より聖樹の位置 杉浦 一枝 こおろぎを瓶より救う資源の日 (東京) 綿虫の高さ低さよ五十肩 城南に時雨るる生家十姉妹 夫のもの日ごとに失せぬ餠雑炊 工藤眞智子 風花や旅行中とす亡き夫は (東京) 山茶花や涙くんさよなら一歩一歩 留守番の遺影に冬帽脱ぎ一礼 毛糸編む遅れしままの時計音 小川 侑子 一身に音なき雨を茄子の花 (東京) 踊子の隧道抜けし春の雪 存分に梅の実の熟れ無人駅 実石榴や抗菌という濡れティッシュ 中野 由美 眼鏡越しなる好戦議員の赤い羽根 (横浜) ピカチューの耳がしんがり運動会 匠館のつまみ簪一葉忌 しゃこさぼてん千手観音そのなかに 宮澤せい子 初御空袖ふれ合うも静電気 (東京) 去年今年生命線の伸び縮み コーヒー飲む老いては雪に片思い 深入りをしすぎてしまい冬帽子 森田かりん 冬晴や食指でたたくキーボード (広島) 手の温み師に伝わりぬ冬銀河 野良猫の腹太るまで寒灯 手つなぎの鬼が散らばる薮柑子 田辺 花 三代の喉の乾きへ玉子酒 (東京) 母の背の故郷ほどの大根漬 起き抜けの息深く吸い霜の街 熟睡児の夢の端を囓る夢が君 石口 栄 朝東風のぶつかってくる地下出口 (東京) 子の進路肯いて解く懐手 宛先は三日後に会う人賀状書く 花豆は七変化なり黒衣着る 堀越 鈴子 十年の日記の果てるうふっと笑う (東京) 這いつくばる落葉の宇宙に子の目線 掘炬燵幼なも鬼も鉢合せ 柚子湯出てビーフストロガノフの夜 白石みずき もうなにも枯るるものなし展望台 (東京) ひと言が元気になれるの冬苺 百歳と同じ目線の梅便り まあるく丸くりんごのような句の仲間 小高 沙羅 満月が畳の上に落ちている (東京) 灯火親しむとなりのベッドまぶしくて 池袋もみじ二枚を持ち歩く 溶岩原の影に添い立つ石蕗の花 関 千恵子 渋滞の高速にふと返り花 (東京) つるし柿オレゴンの姉に届けます 柿すだれ洗濯物の顔見せて 朝市のしっかり土付き大根売る 大村 恭子 息白し骨密度「良」の膝が鳴る (東京) 寄せ鍋の白菜しばし意地を張り やや寒や少し弱気になっており 七福詣さわり大黒撫でている 樋脇 康治 初雀稲穂飾りと遊びけり (東京) 寒凪や子供またがる旧砲弾 初東風やガイド旗降る二の鳥居 切通し落葉を踏んで息切れて 井戸 美子 谷戸に入るこぶし太芽よ寒の空 (横浜) しんがりは尼僧三人寒行僧 中学生高笑いして寒椿 四日はや二人に戻る鮭茶漬 谷口 久枝 シュトラウス聞くに炬燵の指定席 (横浜) 初鏡立ったまま差すうすら紅 切れ味の包丁始め柚子を削ぐ 肩たたき普通を所望二日暮る 澤柳たか子 冬晴や閻魔に祈る園児の瞳 (東京) 大達磨はウインクのままどんどの火 黄梅や隣家にいつか嬰の声 一万歩目安ほどほど二分の梅 池永 英子 家の灯へ夫押して坂寒昴 (東京) 雪見ましょうへの字の泣きべそ解きながら 寝はぐれて白く息づく冬銀河 小鳥来る芋ようかんを半分に 北田はれ子 冬の霧「源氏絵巻」の人になる (東京) したたかな猫のしっぽや冬の蝿 元日やなぐり合ふ猫舐め合ふ猫 ひとりづつ花びら餠の年迎ふ 村田紀久子 九五歳の母没 (東京) 再びの踏む石畳日脚伸ぶ 菩提子を拾ふ亡母あり父の国 砂利道の窪地ふっくら初雀 取り込みし白布に御座す枯蟷螂 川村としえ 焼き藷屋の声の日暮やスイッチON (栃木) 和紙絵貼る晩秋の野を八号に 黄落の一樹の支え夕鴉 年暮るる電話一回鳴って止む 田原 知子 初バスや襟巻蜥蜴吊るさるる (横浜) 初祓おとなしくいる孫の肩 素心蝋梅見ごろなりけり東慶寺 我が影を畑に漉きこみ鍬始 金子 高遠 弓始肩をなだめつ矢を放つ (東京) 初弓の的にめりこむ日のかけら 神の田をずかずか踏んで凧揚げる 極楽極楽一日早き柚子湯かな 吉田 志穂 すいとんを薄味にして開戦忌 (横浜) 風の中八ツ手の花がぽんぽんと 湯ぼてりの擦れ違う人柚子香る 馬偏のあまりに多し年賀状 伊藤 俊子 山霧に日の昇りそむ宿の玻璃 (横浜) あおあおと水寄る湖畔冬苺 あうあうと笑むみどり児や年新た 新妻の無添加みその香り立つ 辻 今日 新妻の仕切るキッチン三が日 (横浜) 去年今年預かり猫の声残し 水仙の葉っぱの色の海に溶け 鴨浮寝そして真面目な遊び好き 柴 さわ子 風花や彼と選びし絵蝋燭 (東京) 六歌仙貼り交ぜ屏風今日暮るる 冬北斗スロットマシン全開す 干大根入江の風を聞きながら 小池 都 落葉松の散る散る透明人間に (東京) 冬紅葉結界高くまあだだよ けもの道毒も薬も草紅葉 松本 末生 とんとんと蕎麦切る音や一茶の忌 (東京) 釣れますかいやだめですね秋の磯 寒昴寄るや土塁のささめごと 豊田 勝巳 枯土手の訓練犬のすまし貌 (東京) 冬川鵜曳くや羽音を糸にして 空蝉の木叢に群れて金のいろ 湯浅よしみ おみなえし茎ゆらしつつ待はだれ (東京) 動かざるバッタの前に来て休む 六十路なる吾をいましめ寒牡丹 大勝すみ子 冬篭り夫と寄り添ふ齢かな (東京) 病葉の病む身を癒す四温かな ローズマリー鉢いっぱいの薄紫 金子 一枝 じじとばば日向ぼっこで蕗のとう (横浜) 木枯しや雀の羽根のささくれて ゲーテ座といへる小屋あり冬館 神津ふかし 少しづつ少しづつ積む絵馬の雪 (川崎) 雪の日の嵯峨の小店の雛かな 去年の雪教会オルガン音の満つる 竹内志摩子 雪覆うぶどう畑果てライン河 (横浜) おでん屋台湯気たっぷりと二十五時 強風にまてまて木の葉にげまどう 森田 泰子 憂さ晴らし冬空みつめ小半時 (東京) 歳晩の人生紡ぐ演歌かな 招き猫サンタ帽子が良く似合う 鹿島 正実 水仙を寝ござに猫の目が丸く (横浜) 一族の墓の寄り立つ菊日和 方言の顔で買物年の暮 中野 鯨 訳知りの顔むずかしき師走かな (さいたま) 夢を食べお餠を食べて日々の沙汰 背の子のいつ反抗期冬北斗 松村 朋 愛という文字に親しむ石蕗の花 (埼玉) 対岸に届いてしまう大くさめ わが余生流星群の一条に 野中 秀子 低迷運の一年たぐるとも柚子湯 (東京) 古暦心の憂さの二つ三つ 嵯峨路や悴む両手にてお薄 大貫ふじ子 一力を曲って師走軒すだれ (東京) 大釜の火に踊りいる大根焚き 夕刊を外套のまま読みにけり 久保 貞子 雑巾を縫う冬亡母のおもいやり (東京) 厚切りの大根ほっこり湯気あげて 冬ぼたんお厨子被りていとしめり 小林みつ子 薦被り囲み新年(はる)待つ親子連れ (東京) |
「鴎座」もこのところ各方面から注目されるようになった。最近では「俳句四季」「俳句界」でそれぞれ「鴎座作品」の巻頭句がとりあげられた。一般的に雑詠欄がその雑誌の代表的な舞台と考えられている。それだけに投句される方も、選をするのも力が入るものだ。 新しい同人が増えて「同人作品」が充実してきたことはうれしいものの、そのぶん「鴎座作品」が低調となっては意味がないのだ。同人の方はそれぞれ実力を認められた方、同人は一と月に十二句出句と考えていただければ幸い。もちろん新しい会員の活躍も大いに期待するのも「鴎座作品」欄。 ポインセチア遥かなる日は御名御璽 木谷はるか 「御名御璽」は天皇の署名と印のこと。「遥かなる日」ではなく、現在でも法律に御名御璽はあるが、この場合は戦前の天皇の権威の象徴として考えていいだろう。ここから暗記することを強制させられた「教育勅語」などが連想される。それと現在の真っ赤なクリスマスの花ポインセチアとの対比で諳鬱とした時代を思い起こしているのだ。「遥かなる日」という生の言葉が気にならないでもないが、対比の鮮やかさが心を打つ。 ちなみに、キリストはポインセチアを見たこともなかったに違いない。これはメキシコ原産でヨーロッパに入ったのは一九世紀になってから。花が少ない時期の彩りとして欧米に瞬く間に普及し「クリスマスフラワー」という英名までつけられた。赤く色づくのは苞葉(ほうよう)という部分。 「Sみかん詰め放題と言われても」は、軽妙な一句。「言われても」という普段着の言葉が一句を明るく支えている。 天上天下冬の噴水音立てて 倉本 岬 噴水は夏のものだが、実際には冬の噴水も多く見かけられるようになった。この句は冬の噴水ならではの句。澄んだ冬空に噴き上がりまた落ちてくる。だから「天上天下」なのだろう。誇張が効いた感性の句である。 「隠れ肥満といわれてみれば寒の月」も実感を踏まえての句。中年以降の気がかりなこと。「いわれてみれば」思い当たることも、というのだろう。 なお、「隠れ肥満」とは体重が標準でも、脂肪が多すぎること。現在では体脂肪率の計れる体重計で簡単にチェックできる。 「もういいかい」だれも答えぬ開戦日古川塔子 かくれんぼの現実を素朴に描いた句ともとれるが、「だれも答えぬ開戦日」で、それを超えた怖い一句となった。「もういいかい」と戦争を準備する足音が聞こえてくる。 私も米ブッシュ大統領の「今年は戦争の年」を踏まえて作ったが、それよりこの句ははるかに現実を考えさせられる。「戦争が廊下の奥に立ってゐた」(渡辺白泉)に通う具象から抽象への飛躍がある。 餌投げてわたしの指の冬鴎 増田 萌子 なんでもない光景だろうが、「わたしの指の」で新鮮な一句となった。「風邪熱の五感に振れる誕生日」「ババロアの山茶花添えて微熱の夜」など、風邪もまた一句となるのも好ましい。 ずわい蟹好きで中流以下のずれ 鷲田 環 「中流以下のずれ」の「ずれ」が微妙な表現、中流だろうかどうだろうかでもないが、ここはこのまま味わうしかなかろう。 「大根引く準備体操整えて」は、農家の姿というより都市の区民農園といった場景と見えるところが楽しい。 「てっちりやドメスティックバイオレンスってなんや」またまた嫌な言葉が生まれたものだ。ドメスティックバイオレンス」というのは「夫から妻、または恋人など親密な関係の男性から女性への肉体的、性的、精神的暴力のこと。」という。そんな言葉がなくても、母や祖母につながる女性は多く虐げられてきた。それが言葉として意識されたことは、いいことでもあろうか。この句は俳句としては長々しいが「なんや」という表現で救われた。 次郎吉墓がお控えなすって竹の春 柳田芽衣 両国回向院の鼠小僧次郎吉の墓での句だろう。「お控えなすって」が軽く共感を込めている。「竹の春」も明るい。「弁財天の息かかりたるかいつぶり」は、息を捉えた手柄。 差出人の大字小字林檎着く 石口りんご 「りんご」という俳号が定まっていきいきと故郷を描くようになったようにも思う。「実母より虐待さるる冬林檎」「少年の日の空白埋めし紅りんご」など今月は林檎がテーマ。それぞれ林檎の赤が目に見える句となっている。もっとも「幼児虐待」などは林檎と付くのは困るが、それも悲しい現実だろうか。 諍いは娘の進路より聖樹の位置 杉浦 一枝 家庭内の諍いとは、せいぜいクリスマスツリーの位置ぐらいであって欲しいもの。重たいテーマと軽いテーマの対比は俳句の手法のひとつ。そんな工夫も自然に身についてきたようだ。 「城南に時雨るる生家十姉妹」は、鳥の十姉妹と多勢の姉妹を掛けたとすればつまらないが、まさかそんなことはなかろう。素直な景として味わいがある。 夫のもの日ごとに失せぬ餠雑炊 工藤眞智子 一月号でもお知らせしたように、交通事故での突然の夫の死をしっかりと見つめている。俳句を成すということは、どこかで自分を客観視するもの。それが俳句という詩による救いなのだろう。 「風花や旅行中とす亡き夫は」「山茶花や涙くんさよなら一歩一歩」「留守番の遺影に冬帽脱ぎ一礼」みな措辞の巧拙を超えて涙なくしては読めない句だ。 毛糸編む遅れしままの時計音 小川 侑子 毛糸を編むというのは、女性ならではの至福のときかもしれない。もっとも男性でもいいのだが、私には体験がない。そんな時間は時計の遅れも気にならない、心の余裕なのだろう。「時計の遅れ」を発見して一句となった。 実石榴や抗菌という濡れティッシュ 中野由美 なんでも抗菌とか無臭とかという商品が増えてきた。特に若い女性に異常とも思える清潔好きが多いようだ。 作者はそんな「抗菌ティッシュ」をやや覚めた眼で見つめている。 しゃこさぼてん千手観音そのなかに 宮澤せい子 ややどぎつい色彩のサボテンだが、作者はそのなかに千手観音を発見した。私の感覚とはやや異なる独自の感覚だが、なんといっても千手観音のことそれもいいとしたい。シャコサボテンはクリスマス・カクタスとも呼ばれ、葉が寿司屋などで食べるシャコに似ていることから付けられた名。シャコ葉サボテンが正しいと思われる。 その他触れたかった佳句。 深入りをしすぎてしまい冬帽子 森田かりん 手つなぎの鬼が散らばる薮柑子 田辺 花熟睡児の夢の端を囓る夢が君 石口 栄 花豆は七変化なり黒衣着る 堀越 鈴子 柚子湯出てビーフストロガノフの夜 白石みずき まあるく丸くりんごのような句の仲間小高沙羅 柿すだれ洗濯物の顔見せて 関 千恵子 朝市のしっかり土付き大根売る 大村 恭子 七福詣さわり大黒撫でている 樋脇 康治 切通し落葉を踏んで息切れて 井戸 美子 シュトラウス聞くに炬燵の指定席 谷口 久枝 肩たたき普通を所望二日暮る 澤柳たか子 一万歩目安ほどほど二分の梅 池永 英子 小鳥来る芋ようかんを半分に 北田はれ子 ひとりづつ花びら餠の年迎ふ 村田紀久子 取り込みし白布に御座す枯蟷螂 川村としえ 年暮るる電話一回鳴って止む 田原 知子 我が影を畑に漉きこみ鍬始 金子 高遠 すいとんを薄味にして開戦忌 吉田 志穂 |
| 鴎座作品 | |
| 三寒四温舗道タイルの船踏んで 柳田 芽衣 獅子舞の獅子脱ぎ犬に舐められる (東京) 折紙の馬の並足寒の雷 寒椿男の唇の野を行けり 鰤起し朝市婆っちゃ名刺持つ 澤柳たか子 義民の碑新蕎麦うまし待たされし (東京) 雪吊りの唐崎の松バレリーナ 工藤さんを悼む 凍星やジョギングの彼の止む時計 別姓のあかりあからめ牡蠣雑炊 真木 麻子 反骨の肩のかげりやレノンの忌 (広島) 病名をひとつふやして時雨の木 ふたり在る刻のいつまで万年青の実 梟の視線を逸れて美食せん 長谷美知子 髪解いて巫女は少女に梅日和 (さいたま) 旋回し春の鴎となる予感 落椿とは地を飾りゆく遊び 年玉をいただいてより迷い箸 田辺 花 ファスナーに噛まれる裏地寒戻る (東京) 釣り好きの身振り手振りの目刺焼く ポリバケツの転がっている寒鴉 メロンパンは過去真向いに冬木の芽 鷲田 環 初日の出わたし丸ごととろけちゃう (東京) 時とまれ佃小橋を枇杷の花 佐保姫とお茶していますカフェテラス この年のお年玉にて五円玉 杉浦 一枝 冬木の芽めだか一家のレム睡眠 (東京) 梅一輪人形作れば上目癖 初売りや「夢」の文字出て香水屋 梟の先の見えない星に 森田かりん 棲み冬の月私の城に猫といる (広島) 群れはなれ鴎よ母の耳遠し 靉光(あいみつ)の目のない自画像雪催 初山河肌身の棘を抜いてます 増田 萌子 暖房の六感鈍る指体操 (東京) 貝寄風や座敷童子のよく遊び マンゴサワー誰か噂の嚏して 九十九折脳の疲れを霧氷林 小川 侑子 読初の旅の夜深く堕落論 (東京) 菜の花やパスタを食べてご破算で お蔵入りばかりの句なり日向ぼこ 松ぽっくりを放り込んだる春焚火 宮澤せい子 恋猫になりたい私空を飛ぶ (東京) モーグルの膝笑ってる風光る 落椿それも私のエリアです 音たてぬ夫いることも鷽替える 古川 塔子 加賀ことば少し混じりて福笑い (東京) 獅子舞の中を覗いて鈴の声 聖歌うたう卆寿の母のこれからは 薬喰競いて話す持病かな 小平 湖 ロボットの犬を里子に山眠る (東京) 庭下駄で豆腐屋追いし小六月 満潮や動けば寒い路地に猫 佃煮を素早く量る冬木の芽 小池 都 冬夕焼ボール投げたら壊れます (東京) シニア料金払ふ窓口大くしゃみ 切るピザのとんがり大小春隣り 山姥の背に棲みつきし懐炉かな 木谷はるか 白髪の肩や四尺の牛蒡注連 (さいたま) 北風のふわりと甘くパン工場 酔ってないと夫の繰言冬木立 メトロ出て頭がONに今朝の冬 中野 由美 白息や地下より羊涌いて出る (横浜) ワイングラスのくらげゆらゆら聖夜かな 骨密度の透いているらし隙間風 寒漉きの無念無想といふ無色 山根 松於 ひととせの手塩の凛と冬牡丹 (川崎) 口ほどに長けざる歩み蕗の薹 お湿りや一人の農の日脚伸ぶ 本気です祖母と幼なは初将棋 堀越 鈴子 うぐいす菜といい小松菜が板橋区 (東京) はふはふとほろふき大根主役にて ピラカンサ人間不信の火と棘と 芽吹き初む今日の調子の朝体操 工藤眞智子 姿勢よく供花買いに行く余寒なお (東京) 風光る「揺れます」バリトンの区営バス 朝練の声のきらきら犬ふぐリ 風少しあり元日の波がしら 関 千恵子 初日の出水平線を持ち上げる (東京) 母無くて三段重箱つめにけり 佃好き冬の鴎の舞い姿 初電車見目よき人に扉を開き 金子 高遠 良寛の天の字逆さかかり凧 (東京) 千切れ飛ぶ影は野栗鼠か春隣 曽我梅林梅干村となりてをり みかんの湯七時起床に戻ります 小高 沙羅 体の線まだ気にかかる午の年 (東京) 一枚の毛布の呼吸鼻呼吸 重ね扇今年の妻はやさしくて リハビリの文字の乱るる寒牡丹 樋脇 康治 熱燗を振ってつぎたす艶話 (東京) 飴細工見つめ受験子梅社 西伊豆の湯気立つなかの紅椿 成人に成りしと遺影その温み 村田紀久子 道一つめざす麦の芽太穂の忌 (東京) 春と記す銀の器のスイートピー 声あげて障害者展寒明けぬ どしゃ降りの日の着物です久女の忌 田原 知子 花三椏森田愛子の墓の向き (横浜) 春の昼アウトレットのパンの山 料峭のコーヒーお替り自由です 寒木瓜や卆寿の背筋ぴんと伸び 小原 良子 リハビリの負荷の増したる春隣 (東京) 饒舌の大粒いちご寒見舞 下萌ゆる区民農園抽籤日 即売の小屋の空っぽ冬の日矢 坂本あかね 桶に水汲めば氷のふれあへる (栃木) 女正月干物二枚の礼言はるる 凍土を這うばかりなりリモコン機 春一番表札が旅こころざす 石井 晴雨 冬の月非常階段踏みはずす (秋田) 花吹雪郵便番号とんで来る コーヒーを一口飲んで冬の恋 せんべいの袋に鬼や春隣 吉田 志穂 鬼やらい誰より大き祖母の声 (横浜) 古傷の少し気になる雪もよう 宿木の吹かれて空の真青なる 雪捨つる池に眠るれる鯉と鮒 荒井 道子 天領の家並を黒く深雪晴 (東京) 身も声も朝日にむかい翔つ白鳥 紅梅を通りし風のゆるかりし 二日はや沖にありけり漁り舟 佐藤よしを 玉鋼打つ初春の鍛冶の汗 (神奈川) 春立つと吉祥文字の中華街 初午や湯屋の小路の赤幟 猫ばかり見てゐる日暮れ冬薔薇 北田はれ子 大観の「無我」に会ひし日鳥帰る (東京) 鯛焼きの尻尾にも餡桜草 降る雪や遊びつかれし猫と犬 先人の好みし「臥竜梅」古木です 井戸 美子 枝張りし「緑顎梅」の太き幹 (横浜) まだまだと固い梅の名「思いのまゝ」 雛飾るエプロンの紐縦結び 水仙の丘一村は夕日かな 神津ふかし 冬鵙や文化四年の供養塔 (川崎) 山寺に蒟蒻を煮る寒さかな 蔓薔薇の絡まりしまま枯れにけり 賀状来る駿馬色刷り多彩にて 川村としえ ぞくぞくと冬将軍の海渡る (栃木) 柚子の実の去年裏年改革待つ 駐屯地へ冬木の梢飛行灯 去年今年眼鏡の曇り拭きにけり 愛川沙喜子 馬車午が踏ん張り登る雪の城 (横浜) チーズ屋の氷柱太々絵看板 紅梅の枝垂れて空を分ちあう つぎつぎと冬日の糸へビーズ玉 辻 今日 摺足の枯芝泳ぐ太極拳 (横浜) 冬苺ビーズクルスは少女の胸 女正月ゆるゆる話尽きぬ夜 蜜柑狩だんだん声の濃くなりし 大村 恭子 酒酌みし生牡蠣啜る口尖り (東京) 加速とは骨と筋肉初電車 マフラーのくるくる巻や無洗米 紅梅の六十段に仁王の眼 豊田 勝巳 火燵寝のしみじみ妻の白髪見む (東京) 小鴨浮く列の右折の弧を広げ 霜焼の文集過去を走馬 紅梅の白梅に勝つ色気かな 大勝すみ子 冬晴れのさざ波柔く凪ぎにけり (東京) 余生とはいつのことやら春立ちぬ 寒晴れを胸いっぱいに吸いにけり 観覧車横浜は今日小雪です 大貫ふじ子 初春の席譲られて年をとる (東京) 墨飛んで「聲」という字の初書展 すずめ焼冬日のたまる柳橋 穂芒の川をかくして揺れやまず 湯浅よしみ 青空を刺して芒の揺れやまず (東京) 元旦のポート一笛郵便船 大鍋に煮えし丸餅少年期 竹一本枝に残してどんどの火 松本 末生 青竹の大きくはじけどんどの火 (東京) 日溜まりの彼もリストラ煙草消す 踏切にいつも堰かるる雪女 柴 さわ子 落葉焚く茶断ちの願のあと三日 (東京) 木枯しや唐三彩の馬といる 凩や一番星の泪落つ 柴田しげ子 初雪やはぐれし鴎群により (東京) さざなみを畳み畳みて池凍る 人力車夫の鎌倉半被冬うらら 鹿島 正実 湯船より木枯しを聞く山を聞く (横浜) 白梅や三界香る古寺境内 むずかるを声色真似るヒヤシンス 池永 英子 ココア飲み干す破綻信組の窓口へ (東京) 共に臥しそれだけのこと風邪のこと 検査値に茶断ち酒断ち寒牡丹 野中 秀子 芭蕉庵の緋鯉ゆったり水温む (東京) 都立公立校美術展にて 春浅しアイドルを絵に入選す 「ごめんね」と告げて長びく初電話 白石 菊代 靴下を繕うがなき冬座敷 (東京) 冬晴へ干すジーパンが脚を組む 地蔵坂登りきったる冬日かな 北沢むつみ 燦々と区民プールの初泳ぎ (東京) 商いの手締めの固き初音かな ゆりかもめ餌やる人の影ながく 森田 泰子 初参り身替り札に幸祈り (東京) まゆ玉のふれ合う音の賑々し 山茶花や小高き丘の賑わいに 小黒 優子 翌檜空見上げたる冬の景 (東京) 山茶花の花びらばかり庭赤し 空海の書に親しめば夜寒かな 鈴木二三江 アフガンの聖夜に祈る民の声 (東京) 寒月や息つき渡る跨線橋 小林みつ子 寒凪や孫の手をとる試し食い (東京) |
三寒四温舗道タイルの船踏んで 柳田 芽衣 やわらかな情感がどの句にもふっくらとみなぎっている。「三寒四温」の句も、舗道タイルの船などは、横浜などで見られる普通の景かも知れないが、さりげなく春への期待が表出されている。 「獅子舞の獅子脱ぎ犬に舐められる」は、獅子を脱げば犬に舐めれるただの人に戻るという軽いおかしみ。どの句にも深刻さはないが、それも人生を真摯に生きたのちに到達した心境であろう。「寒椿男の唇の野を行けり」も寒椿を男の唇とみた情感が素直に伝わる。 鰤起し朝市婆っちゃ名刺持つ 澤柳たか子 この句の楽しさはなんといっても朝市の「婆っちゃ」という言葉とともにその婆っちゃが、名刺を持っている、差し出したというところだろう。「鰤起し」とは冬の富山湾に地響きのような雷鳴とともに強風が吹き荒れること。この風雪をともなう荒天がブリの豊漁を告げる。季語としては「鰤起し大佐渡小佐渡つらぬけり」(皆川盤水)のように佐渡でも使われているようだ。 「義民の碑新蕎麦うまし待たされし」は、「うまし」という俳句では禁断の主観的表現がうまく生かされた句。それも「待たされし」だからこそ。しばらくは主観的表現は避けたほうがいいだろう。 「雪吊りの唐崎の松バレリーナ」も芭蕉の「唐崎の松は花より朧にて」を踏まえて、それをバレリーナと言い切った面白さ。バレリーナと言われれば芭蕉もびっくりだろう。 別姓のあかりあからめ牡蠣雑炊 真木 麻子 「別姓」は問題になっている夫婦別姓のことだが、そのような夫婦が現にいるのだろう。牡蠣雑炊がほのぼのとした景。 「反骨の肩のかげりやレノンの忌」ビートルズのジョン・レノンが殺されたのは一九八〇年十二月八日、四十歳。奇しくも真珠湾攻撃の日であった。ビートルズが活躍したのは私の三十代と重なっているが、理解できなかったというのが正直な印象。反権力の象徴でもあったというが、作者は「反骨の肩のかげり」として、自身と重ねつつそれを思い浮かべている。 梟の視線を逸れて美食せん 長谷美知子 「美食」といっても、ちょっとした外食程度であろうが、それも「梟の視線を逸れて」というように、やや後ろめたさがあるというのだろう。梟のイメージはさまざまだろうが、梟と対比される生活実感に根ざした鮮やかな一句。 「髪解いて巫女は少女に梅日和」「旋回し春の鴎となる予感」も明るい。なによりも表現に独自感があることに注目したい。 年玉をいただいてより迷い箸 田辺 花 期待のお年玉を貰うまではいい子にしていた。ということだろうか。「迷い箸」が楽しい。 「釣り好きの身振り手振りの目刺焼く」は、いかにも釣り好きの人の姿が見えてくるのだが、目刺を釣ったわけではないだろうから、ちょっとおかしく不思議な句となった。 メロンパンは過去真向いに冬木の芽 鷲田環 過去といえば深刻になりそうだが、「メロンパン」 に象徴される過去なら安心ということだろうか。冬木の芽という取り合わせも浮き上がっていない。 「初日の出わたし丸ごととろけちゃう」「佐保姫とお茶していますカフェテラス」になると、やや軽くなるものの、その大胆さ、おおらかさがこれからどうなるか期待がふくらむ。 この年のお年玉にて五円玉 杉浦 一枝 お年玉といっても「ご縁」に掛けた五円なのだろう。「この年の」は、この年齢にしてということだろうが、大胆な表現が快い。五円玉が一句を成立させた。 「冬木の芽めだか一家のレム睡眠」、メダカの句はなぜか多いが、これは「レム睡眠」(身体は眠っているにも関らず脳は覚醒状態で、はっきりとした夢を見る状態。深い睡眠はノンレム睡眠)という言葉を発見した手柄。 梟の先の見えない星に棲み 森田かりん 星というのはこの地球ということだろうか。「先の見えない」日本の現状と梟のイメージが重なってくる。ある不安感の表出。 「靉光の目のない自画像雪催」、靉光(あいみつ)は広島県出身の画家、一九〇七年生、本名、石村日郎。シュールレアリスムの一人として活躍、一九四五年上海で戦病死。劇団銅鑼が一九九七年九月成増アクトホールで上演した「池袋モンパルナス」の主人公。広島にも池袋にもゆかりの画家と知ればなお心引かれる。 この句は「自顔像」と呼ばれる画をテーマにしたものだろうか。「目のない」が作者の把握だが、代表作に「目のある風景」があるのでそれを踏まえたものでもあろう。無言館と同じく暗い時代に消えた若き画家であった。絵画をテーマにする場合、素材にもたれることなく自身の表現にすることはなかなか難しい、私は靉光を初めて知ったが、これは作者に繰り返し挑戦して欲しいテーマだと思う。(画像は「自顔像」) 初山河肌身の棘を抜いてます 増田 萌子 新年の思いはさまざまでしょうが、この句は「肌身の棘を抜く」という素直な開放感がすがすがしい。 「暖房の六感鈍る指体操」も、暖房のある今日の微妙な感覚をよく捉えた句。 読初の旅の夜深く堕落論 小川 侑子 読初といって堕落論という意外さ。もちろん作者は堕落論の坂口安吾よりはるかに後の世代。ある意味では言葉遊びかも知れないが、それはそれで良しとしたい。ややニヒルな思いだろうか。 ちなみに「堕落論」は無頼派と称された安吾が、一九四六年、敗戦によっていままでの倫理観・価値観や秩序、社会構造すべてをひっくりかえされて当惑し失意に沈む日本の若者に向けて発表したもの。「人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。―人間は生き、人間は堕ちる」という一節がどこか頭の隅にあったようにも思う。もっとも最近では「統一原理」の堕落論もあってこれはこれで怖い。 松ぽっくりを放り込んだる春焚火 宮澤せい子 なにげない句だが春の焚火に放り込まれた松ぽっくりが、爆ぜてゆくのか、情感を奏でる。このところ「鴎座作品」は頭の働いた句が目立った。この「松ぽっくり」は写生の良さを再認識させられる句。 その他触れたかった佳句。 音たてぬ夫いることも鷽替える 古川 塔子 薬喰競いて話す持病かな 小平 湖 佃煮を素早く量る冬木の芽 小池 都 山姥の背に棲みつきし懐炉かな 木谷はるか メトロ出て頭がONに今朝の冬 中野 由美 寒漉きの無念無想といふ無色 山根 松於 はふはふとほろふき大根主役にて 堀越鈴子 芽吹き初む今日の調子の朝体操 工藤眞智子 初日の出水平線を持ち上げる 関 千恵子 初電車見目よき人に扉を開き 金子 高遠 みかんの湯七時起床に戻ります 小高 沙羅 リハビリの文字の乱るる寒牡丹 樋脇 康治 成人に成りしと遺影その温み 村田紀久子 どしゃ降りの日の着物です久女の忌田原知子 リハビリの負荷の増したる春隣 小原 良子 桶に水汲めば氷のふれあへる 坂本あかね 花吹雪郵便番号とんで来る 石井 晴雨 せんべいの袋に鬼や春隣 吉田 志穂 雪捨つる池に眠れる鯉と鮒 荒井 道子 春立つと吉祥文字の中華街 佐藤よしを |
| 鴎座作品 | |
| 髪切って梅四五輪へ深呼吸 増田 萌子 野焼してよくよく見える埼玉県 (東京) やわらかに撫でてはこべら踏みこまず 梅林のいつしか方位南口 金婚へ押されごころの除夜の鐘 中野 由美 胃カメラのするりと冷ゆる近未来 (横浜) 覗きこむ胃の腑あかあか雪兆す 初夢や月の砂漠はまたの夢 残業の子の肌かわく蕪汁 森田かりん 切干や遠くの海のよくひかり (広島) 落款のやや丸み帯び春隣 春きざすもろ手で樫の実を磨き 寒明けや過食の鯉を寝かせつつ 杉浦 一枝 山茱萸や鳥語拾ってポケットに (東京) 背筋をほぐしていたる尾長鴨 ベランダの春立つ匂い猫の耳 塩味がするかも知れぬ梅の花 長谷未知子 なまはげのつくづく農の足なりき (さいたま) 燈台へ浮足だって野水仙 春寒し誕生の間の大鎧 来し方やたまたま榛の花咲いて 柳田 芽衣 木の椅子の土より生えし春の鳥 (東京) 外套吹かれ跡とて築地小劇場 春鴨の百がめぐれる甲斐の空 猫病みて人病みて地に蕗のとう 堀越 鈴子 医療とは検査値である榾を焚く (東京) パソコンの中に残せリ春便り 清潔な胸のぞかせて大根畑 身のうちの夫のあやふや葱坊主 古川 塔子 代理母瓜実顔の父おぼろ (東京) 紅梅が囁いている近づかず メトロノームいえ寒明けに飛びたいの パソコンの「ごみ箱」へ捨つ春思かな 石口 栄 啓蟄や鉢の底より根が伸びて (東京) 四の五のと話ふくらむ納税期 おにぎりの角が崩れて春一番 アフガンの凍土へ基金ゑひもせす 倉本 岬 遠州浜松 (東京) 冬帽の今日は要らない遠江(とおとうみ) 知らざあいって春の鴉が由比ガ浜 釜飯の釜の底まで春うらら 出席は平服にして尾長鴨 小平 湖 あの娘またハートブレイク川鵜浮き (東京) 節分の豆の残りし年金課 三猿のひとつを習い辛夷の芽 年玉をいただいてより迷い箸 田辺 花 釣り好きの身振りと手振り目刺焼く (東京) ファスナーに噛まれる裏地寒戻る 姿見のふくれっ面が雛まつり 春の夜は文したためるゴッホの灯 松嶋麁(そ)人(じん)泉(せん) 春愁は絵皿ににじむ紅のいろ (東京) 散る桜破船の骨の突っ立ちて パラソルと仔犬スーラの日曜日 エリカ咲く岸を隔てて君を画く 小川 侑子 かたくりやシネマ看板裕次郎 (東京) 桜餅本郷壱岐坂三歩あと 受験期の鶏鳴き声が芸のうち 柔らかき春日や猫の砂干され 田原 知子 春やかまくら「六代目です」とう北条氏 (横浜) 人形を負ぶいし老女一夜草 団伊玖磨曲 「花の街」焼野の風の輪のリボン 梅満開休みかけたる風見鶏 姉崎 蕗子 検温のいっせいコール明け易き (東京) 配膳のひといききっと目借時 膝の子の耳こそばゆき弥生尽 種袋振って山河をときめかす 真木 麻子 遺伝子のひとつ失せたる木瓜の花 (広島) ラベンダーの花芽屋上園にひとり 多喜二忌の卓布インクの染み残り 冬帽に逢いたくなりて買う切手 石井 晴雨 梅咲いて亡父の眼鏡が曇りだす (秋田) 雪解光脚立の上の缶コーヒー 嫁に来しこの道を逝く花あざみ のどけしや豆腐の臍の十文字 山中 信 顔面にぶつかる蝶の浮かれすぎ (静岡) 隻眼の軍鶏が鬨告ぐ二月尽 春寒の銀河をつつむ藍微塵 自己という扉を放て春の蝶 鷲田 環 螺鳴くマイナスイオンが足りないよ (東京) 受難の地レタス畑は語りつぐ 囀や花文字丸き異人墓 耳栓をはずさな地虫穴を出づ 小池 都 盲愛と言われているも竹の秋 (東京) なるならぬ夫婦別姓豆の花 水温むモデル一人を撮影す 幸せの稗粟飯を噛みしめる 木谷はるか 病苦なきにとげぬき地蔵冬の水 (さいたま) 四人目を宿せし腰も小正月 やぶ椿手造り壺の小さくて ボジョレヌーボー下戸の木曜日 石口りんご ジャンセン展後ろ歩きの風冴える (東京) 寒椿名残りのお茶のほの甘く ねんねこやあばにアイヌ語沁みついて 鶯の敬語に罷る観世音 山根 松於 万灯の辛夷一念観世音 (川崎) 日脚伸ぶ農事日誌のめくりぐせ 風光る今踏み出さむ乙女像 花札の裏の闇より嫁が君 金子 高遠 四五日で家を出て行く嫁が君 (東京) あとずさる腰やはらかく南瓜蒔く 鷽替をかかさず目薬差しこぼす 携帯の絵文字なるほど目張り剥ぐ 川村としえ 枯芝に五週が限度喉潤す (栃木) 裸木の影に我が影濃き休息 裸樹の梢は風に微笑みて まんさくや老人ホーム静か過ぎ 工藤眞智子 バイオリンと女医の瞳の澄む春の朝 (東京) 相続税シャネルスーツの桜陰 誰彼に声掛けたき日蕗の薹 寒玉子寝返り打つと母の声 小高 沙羅 クロッカスほどの心配誕生日 (東京) そばがらの枕離せず目借時 つくしんぼ耳障りです電子音 ニュージーランドにて ひまわりの北向きに咲き一人旅 関 千恵子 虹二重異国の丘の嫁姑 (東京) 花いばら夫留守番の旅少し 干草のトラックが乗り湖上船 つくし伸びOBボールその中に 宮澤せい子 草萌の土手一直線にヘリコプター (東京) 啓蟄や八角デスクの君の傷 春の風邪左右の脳の錆びついて 琴の音や商家の母の小正月 佐藤よしを きさらぎの雨や五徳の粥の鍋 (神奈川) 北国へ長き貨車ゆく末黒土手 春月の径は渚につづきをり ちりるるる近況いかが春気配 村田紀久子 春と記す銀の器にスイートピー (東京) 喪明けるあの内房の春の海 冬季オリンピック終る フィナーレのあの光の子春昴 「パルロン・フランセ」は戦前の初級仏語会話教本 読み返す「パルロン・フランセ」春炬燵 神津ふかし 金目鯛焼いてひる食う二月尽 (川崎) 九体寺に鶯を聞く日和かな 沙翁劇終り銀座は春ともし 松葉杖梅見案内の確かなる 辻 今日 赤鼻のトナカイめきて花粉症 (横浜) バス揺れにまかせ四温の薄目かな 河川工事休むひととき春の鴨 絵手紙の濃き色づかい桜餅 愛川沙喜子 陶の雛けし粒ほどの目鼻つけ (横浜) 青墨の色のほどよき春の宵 白梅の香りのおおう一人の家 老いの家よくみがかれて雛の間 伊藤 俊子 鷺草の植え替えどきよ薄日射し (横浜) 寒雷やカートの軋む坂の道 蔵屋敷生家と同じ雛飾り 芹を摘む指凍みてまだ笊軽ろし 鹿島 正実 疎抜きの小松菜茹でし母の味 (横浜) 春寒や風源のやつでの葉 膝痛の前を小走り春雀 絹の道大地凍てつつパオ眠る 北田はれ子 ねむさうなへくそかづらやチャイム鳴る (東京) 証人喚問雁木の街の暮るるころ 人参の芽の伸びたるよ旅の空 色深くおかめ桜という満開 池永 英子 筒干しの柔道着太る春一番 (東京) 初雛のなれぬオートロックを展く おかめ桜かな一軒を染め抜いて 初咲きの春蘭あまたうるしたる 金子 和江 たっぷりの餡がうす味草の餅 (横浜) カラオケの喉を大事に早春賦 バドミントン孫と競えば春の雲 探梅や人と歩める猫二匹 井戸 美子 仕切屋はどこにもいるさ蕗の薹 (横浜) 疑惑・疑惑後を絶たずに花粉症 垣根の背にでんぐり返って春疾風 豊田 勝巳 囀に根も葉も恋の予感めき (東京) 雪解風の青尖らせてハイビジョン 黒猫のとをりし影の蕗の薹 柴田しげ子 鶯の花芯つんつん蒼い空 (東京) たちまちに子に崩さるる霜柱 ご詠歌のおおかた女人寒椿 松本 末生 閉店の売り子の笑顔辛夷の芽 (東京) 青竹の大きくはじけどんどの火 寒明の風ぴしぴしと翌檜 坂本あかね 三人の男ひとりが畑を打つ (栃木) 草萌えの雀けちらす鉄こだま 仰げば高し天守閣春の雲 大勝すみ子 柔肌の白木蓮に化粧せり (東京) 春風をゆらりと乗せて四万十川 梅まつり白加賀多く小石川 大貫ふじ子 大滝へ廻れば雪のしきりなり (東京) 早咲きの花見に行くや十時発 寒椿夫の遺影に留守頼む 吉田 志穂 おでん鍋亡父の好みのちくわ麩も (横浜) 真青なる空をミモザの色が分け 三月の青葉が抱く花の芯 谷口 久江 初蝶や陽のぬれ縁のティータイム (横浜) 春埃なだめて宵の鐘の音 小春凪苺母子とすれ違う 松本 静 故郷や菜花明りの立ち話 (静岡) 蕗のとう少し枯葉の色残る 錆声のマイクの焼芋よく売れて 大村 恭子 どっちとも言えぬ結論寒卵 (東京) 桜草あらぬ噂の風向きは ふわりふわ胸毛飛び交う沈丁花 森田 泰子 味噌玉の美味しくなあれ投げ入るる (東京) 汁粉餅のおかわりいかが小雪舞う ホームレス小屋清冽に冬の雨 湯浅よしみ 如月や眉根を寄せて手術創 (東京) 梅の香を嗅げば二月の生れなり 湯豆腐や夫婦休戦今夜だけ 白石 菊代 日脚延ぶページ折り込み旅の本 (東京) 春色のしたたりている今朝の雨 茶髪の子いわれともかく柊さす 野中 秀子 街住い万事都合の鬼やらう (東京) 老の波静かに迎え豆を食む 小林みつ子 ホッカイロ叩いてみたり剥がしたり (東京) 初節句母の雛にて祖母の雛 北澤むつみ 冬うらら子鴨にたんと餌投げて (東京) かわいい子ばかりに雪の玉集む 鈴木二三江 土手鍋に家族の集うときなりき (東京) 朝の歩へ白梅咲きて鳩遊ぶ 三宅 優子 沈丁花の蕾のややに南向き (東京) |
髪切って梅四五輪へ深呼吸 増田 萌子 「髪切って」で女性ならでは思いが確かに伝わってくる。梅の咲き始めたころの清冽な空気、そして深呼吸。情感が素直に明るく響く。 ちなみにこれは作者を女性と知っているという前提での鑑賞ではない。男性ならば「髪刈って」、あるいは日常的には散髪というはずだからだ。 「野焼してよくよく見える埼玉県」も、接続助詞「て」の基本的な使い方だ。「野焼して」なにかが変化するというのは普通の感覚であろうが、「埼玉県」が「見える」という把握には驚かされる。 胃カメラのするりと冷ゆる近未来 中野 由美 胃には神経がないというものの、胃カメラ―現在は胃内視鏡というのが正しいようだが、なんともいやな気分。しかし結果良しともなればまた別の感慨が湧く。この句は「するりと冷ゆる」という措辞もさることながら「近未来」という表現が新鮮に響く。「覗きこむ胃の腑あかあか雪兆す」も、そのときの句だろうが、一句になれば胃カメラもまたよしとするほかはない。 「金婚へ押されごころの除夜の鐘」は、作者自身のことだろうか。金婚といっても、なんとはなく通過するもの。それが「押されごころ」で、除夜の鐘も夫婦の通過儀礼なのだろう。 残業の子の肌かわく蕪汁 森田かりん 作者を知っている知らないということで言えば、私はこの作者とお会いしたことも、お話したこともない。 しかし、この句は残業の子へのいとおしさが「裸乾く」という写実、「蕪汁」という日常を通して書き留められている。季語「蕪汁」が動かない。ちなみに句の鑑賞として、この「子」を作者の「子」と限定することもない。場合によっては「孫」のこともあろう。ただし「肌のかわき」に心が動くのは女性と考えることもできよう。 「落款のやや丸み帯び春隣」の落款は使い古しての「丸み」であろうか。だからこそ春隣にかすかな温かさがあるのだ。 寒明けや過食の鯉を寝かせつつ 杉浦 一枝 「過食の鯉」がしっかりとした把握。飽食の時代の過食の鯉というのも面白い。春への予感を秘めつつ、まだ静かな水面だから「寝かせつつ」という表現が出てきたのだろう。「寒明け」が明るい。 「ベランダの春立つ匂い猫の耳」、「春立つ匂い」と「猫の耳」の取り合せが若々しい。「背筋をほぐしていたる尾長鴨」も同様に感覚が冴えている。 塩味がするかも知れぬ梅の花 長谷未知子 ストレートに「梅の花」を詠い上げて「塩味」という感覚はただごとではない。これも詩的感覚の冴え。「なまはげのつくづく農の足なりき」は、一転してよく見、よく感じた句。「農の足」と捉える現実感が説得力を持つ。「燈台へ浮足だって野水仙」燈台と野水仙の組合わせは、山ほどもあるだろうが、「浮き足立って」はなんといっても個性的な表現。「鴎座」にわくわくとする新星が登場したことを喜びたい。 来し方やたまたま榛の花咲いて 柳田 芽衣 人生の感慨であるものの、なにより「榛の花」がいい。雄花は暗紫褐色の穂が垂れ下がり、やがて黄色い花粉が煙のように飛び散る。一茶に「はんの木のそれでも花のつもりかな」があるが、花らしくない花であっても、花の咲いたこともあったのだ。新潟地方では稲架の木として整然として畔に並んでいる。ますます榛の花がいい。 「木の椅子の土より生えし春の鳥」これも、「木の椅子の脚がまるで生えているようだ」という具象と「春の鳥」というおおらかな季語との取り合せがいい。中村苑子の「わが墓を止り木とせよ春の鳥」も思い起こされる。 猫病みて人病みて地に蕗のとう 堀越 鈴子 老病死は、猫も人も避けて通れない道。その道の蕗の薹は春を告げている。「医療とは検査値である榾を焚く」これも医療に直面しての実感だからこそ胸を打つ。 「パソコンの中に残せリ春便り」、パソコンの主はいなくなっても、書かれた文はメモリーやフロッピーに残されている。パソコンを駆使する現代にも、人の営みは確かに、また悲しく残されているのだ。 身のうちの夫のあやふや葱坊主 古川 塔子 あやふやな夫である。しかしそれもわが身のうちであるというのだ。夫婦の不思議なありようが問われているが、これも「葱坊主」の飄逸さで救われている。 「代理母瓜実顔の父おぼろ」、代理母というのも現代。代理母だから「父おぼろ」がわかるが、瓜実顔といわれるとやや苦い笑いを誘う。 パソコンの「ごみ箱」へ捨つ春思かな 石口栄 パソコンには不思議な用語が多い。この「ごみ箱」もそうだが、マウスというもおかしい。失敗したものや、不要なものを捨てる「ごみ箱」それも春の思い「春思」なのだ。春愁でない春思が工夫。 「啓蟄や鉢の底より根が伸びて」は、「根が伸びて」の姿での表現がいい。 アフガンの凍土へ基金ゑひもせす 倉本 岬 昨年九月以降のアメリカとアフガニスタンの問題はいやおうなしに、われわれにテロと戦争と人間と生命と、さまざまな問題を突きつけてきた。いろは歌だからこそ「ゑひもせす」は、そうした問題に直面した作者の無力感の表明でもあろうか。 「知らざあいって春の鴉が由比ガ浜」という句になれば、歌舞伎の台詞をとって無条件に楽しいが、それも前の句のアフガニスタンに比較すれば、これも俳句の救いなのだろう。 出席は平服にして尾長鴨 小平 湖 親しまれている鴨だが、特に美しいという鳥ではない。それが「出席は平服にして」という、庶民的な感覚を呼びおこすのだ。 「あの娘またハートブレイク川鵜浮き」も隅田川あたりでの景だろうが、川鵜と「ハートブレイク」を取り合わせて、現実の景からの飛躍が楽しい。ただその面白さが、句をやや軽くもしている。 不揃いの食器があれば春の風 田辺 花 家庭の場景なのか、それとも保育の現場なのか、それは限定されてはいないが、ばらばらな「食器」だけに焦点をあてて、子供たちのざわめきが感じられる。「春の風」ならではの現実感、生活感が「不揃い」でいい止められている。 パラソルと仔犬スーラの日曜日 松嶋麁人泉 淡く明るくいかにもスーラ(画家)が感じられる。作者から「古風な俳句ではない一行の詩を作りたい」というお便りをいただいた。その意気やよしである。 なお、心に残った作品を挙げる。 エリカ咲く岸を隔てて君を画く 小川 侑子 柔らかき春日や猫の砂干され 田原 知子 配膳のひといききっと目借時 姉崎 蕗子 種袋振って山河をときめかす 真木 麻子 冬帽に逢いたくなりて買う切手 石井 晴雨 顔面にぶつかる蝶の浮かれすぎ 山中 信 自己という扉を放て春の蝶 鷲田 環 耳栓をはずさな地虫穴を出づ 小池 都 幸せの稗粟飯を噛みしめる 木谷はるか ジャンセン展後ろ歩きの風冴える 石口りんご 鶯の敬語に罷る観世音 山根 松於 花札の裏の闇より嫁が君 金子 高遠 携帯の絵文字なるほど目張り剥ぐ 川村としえ まんさくや老人ホーム静か過ぎ 工藤眞智子 クロッカスほどの心配誕生日 小高 沙羅 |
| 鴎座作品 | |
| 干鰈終末医療つばらかに 古川 塔子 バストアップの体操習う遠蛙 (東京) 中高年亀鳴くことを待つことに 恋猫の四方八方夫留守で 眼科出て焦点いまだ糸柳 真木 麻子 杭打たれし青春遠く花筏 (広島) 花に酌み何れ別るる人ばかり 民喜の詩メモする少年花は葉に ムスカリの子孫繁栄嘘じゃない 小高 沙羅 三月や髪切ることも出来ごころ (東京) 風光る砂丘の愛を消さないで 血液のさらさらにまで蕗の薹 ネーブルのうやむや開き十二歳 田辺 花 いつの間に深き河越す啄木忌 (東京) 土踏まず小石の痛く羊歯若葉 たっぷりのペンキ塗りたて土手萌える 甲斐一之宮次週よろしき桃の花 辻 今日 石仏の斑雪坂道引き返す (横浜) 名残り雪外湯めぐりの半ばにて 春の水あびて目白の羽繕い 春の夜のノックしてより胡桃割る 川村としえ ペイオフに深刻なんぞ流し雛 (栃木) 蘭の香やシルクハットのような鉢 白梅や翁嫗の足運び どじょっこふなっこ牛乳風呂はわたし 鷲田 環 啓蟄や宇宙旅行は団体で (東京) 靴下を履いて寝るくせ叫天子 道産子の髯の剃りあとリラの花 ふらここや名なし橋より東京都 小川 侑子 水温むコンビニ弁の片寄って (東京) 水買いに婆の繰り言夏蜜柑 ペンだこと南瓜煮くずれ電子音 鯨翔ぶ日もあればいい春の空 倉本 岬 てにをはの混んがらがって百千鳥 (東京) ひと駅を歩きたくなり草団子 しゃぼん玉吹くこの先の佃島 院長が雪代山女語り出す 小池 都 萬愚節きれいさっぱり体脂肪 (東京) ボキャブラリー足りていますか百千鳥 リラの花婦長の胸にペン二本 来世には地植えしましよう花ミモザ 石口りんご 山小屋の日射し光太郎忌と太し (東京) 月並みを許されている花菜かな 風もなく磯巾着へ瞳の合図 曇天にずれ込んでゆく白木蓮 長谷美知子 陶片の反りもちて饐ゆ白木蓮 (さいたま) さくらどき沖の暗きを呟けり 擦れちがふ僧焦げくさき花明り 蝌蚪の紐水底は息ひそめおり 柳田 芽衣 さざなみの錫の紙より蝶生まる (東京) 丸木橋の沈み心地に百千鳥 柳の芽スチールの椅子積み上げて 光陰は雛にも吾にも日和下駄 木谷はるか 蕗の薹襁褓を高く掲げし日 (さいたま) 自販機の母より生れ寒卵 この道の抜けられません猫の恋 落花舞う八百屋お七の仕業かも 石口 栄 遠景に二輌電車が花林檎 (東京) 改札の一歩のみどり無人駅 新樹の夜下戸のつきあうはしご酒 乾杯の音頭畦塗未完成 小平 湖 お見合の順序その一山笑う (東京) 尼さまの裾にちょんちょん春の泥 鉢千の芽吹き海水館碑うら 牡羊座生れで黒の花衣 宮澤せい子 行く春や渚に子らの土踏まず (東京) トラックは北へ南へ諸葛菜 水道工事三日続きの目借時 お祝いも見舞いもない日田芹摘む 村田紀久子 紫木蓮高きにほぐれ透くみどり (東京) 春の暮お疲れさまと繭最中 晴れ曇り花びら連れて宅急便 花吹雪ことば融けあう畦の径 石井 晴雨 郭公や忘れるために辞書をひく (秋田) 農機具の荒地に錆びて蛙闇 農暦戸口に貼って木の芽晴 桃の花二重瞼にしてみたく 杉浦 一枝 あかね空大内雛をかたむかす (東京) しゃぼん玉絶対音感ずれてくる さざなみはさざなみの色春燈下 朝な朝な空の機嫌を桜どき 増田 萌子 母だけを桜の景にVサイン (東京) 酒風呂の半身浴を花疲れ 晴女橋三つ目の花吹雪 獏を見し春の夜地球温暖化 森田かりん 猫の目の詩人となりぬリラの冷え (広島) 春宵のおとこが作る玉子酒 沈丁花知らない街を喪服着て 田一枚守りて息災ご開帳 山根 松於 春帽子砂場遊びの独りごと (川崎) 春泥や疲れを知らぬ児の没我 やまびこの潤ひ返る雪解山 枇杷新芽九十二歳のバースデー 井戸 美子 志野焼の菜花一輪青だたみ (横浜) 初恋の雲にのりたる葱坊主 呆けしもいつも笑顔で柿若葉 めんどりを抱き締めてゐる春の風 松嶋麁(そ)人(じん)泉(せん) シャガールの魚が空飛ぶ春のくれ (東京) 春愁はダリの時計の重さかな 春昼の籠の中より軍鶏の声 たたずめば夫のたたずみ紫木蓮 関 千恵子 犬逝きて里親探す目借時 (東京) 邪魔をしてみたくもなりし猫の恋 花吹雪昨日のことは忘れます パーキンソンの別れの握手花の夕 谷口 久江 自律神経症をゆっくり春花壇 (横浜) 逆縁の墓参へ背押す春疾風 気ままなる一日を悔い著莪の花 雪舟展青木の花のまだ見えず 北田はれ子 主婦見習ひ虚子忌といふに眠たくて (東京) 目刺買ふ猫三匹の「おまわり」に 蜃気楼後の正面だーれもゐず 冬茜はずれ馬券の寄る屋台 中野 由美 マシュマロを踏んでいるらし雪女 (横浜) 胸中の薄氷もろくなる失恋 凍てる朝一円玉の踏まれゆく 靴濡らすかたくりの道里ことば 愛川沙喜子 花吹雪永久に手つなぐ道祖神 (横浜) 陽あたりに傷なめており恋の猫 麦青む小学校のある丘に 材木を積みしところも草萌ゆる 山中 信 草餅や母の蒸篭走り出す (静岡) 花筏鯉は家康公連れて 春炬燵お茶が冷たい夫婦仲 桃畑の外れの白はすももとか 樋脇 康治 誰彼と枝垂桜の中に入る (東京) 探梅の早めにそれし蕎麦処 春雷やワイン売場のパリ娘 春の日や鬼の足裏の偏平足 大村 恭子 恋猫の尾をぴんとあげオンリー・ユー (東京) 義理チョコのお返し値踏み春一番 一族の滅びの途中つるし雛 ふるさとを押花にせむ母子草 佐藤よしを 春笋の皮むいてをり在所村 (神奈川) 一寺あり春巡礼の鈴の音 神燈に苗たてかけて植木市 出囃子の膝に納めし花菜ずし 池永 英子 下萌えの四肢投げ出して空一枚 (東京) 龍天のきりきり舞て紐となる 乱調の鼾は夫の花疲れ 七階へ忍んで来たる花吹雪 大貫ふじ子 変らずの母の早口桜咲く (東京) 背を丸め鮒釣るばかり桜草 春風や茶巾さばきのたどたどと 苗くれし老夫婦にて花の精 工藤眞智子 花冷えや男火照ると更年期 (東京) 連翹や東八条六聖地 幣辛夷古アパートの猫太る いつの間に木彫となりて牛蛙 豊田 勝巳 亀鳴くや木彫の馬の目を入れて (東京) 老ひて子に旅の誘ひや水温む リカちゃんに雛ひとつの指定席 日向ぼこマニキュア派手に塗ってみる 岩田きみ江 幸せは山の遠さよ桜散れ (東京) 院内でさしみの出たる花御膳 花衣路地より抜けて棺の旅 牡丹の芽めぐりて塔の影を踏む 神津ふかし 呼び止めて草餅売るや花の寺 (川崎) 夕月に咲き揃いたる辛夷かな 正直な背中が冬へ丸くなる 松本 末生 福袋なんとは知らぬ列に付く (東京) 追伸に本音のちらり春隣 目覚ましで今日のはじまる白もくれん 森田 泰子 山茱萸にうかうか過す頃があり (東京) ポチ・タマの病院混むや春が来た 笹藪の近道を行く花見堂 金子 高遠 椿落ち池の金魚となりにけり (東京) 行く雁を数えてをれば檻の猿 天井の龍動くかに花の寺 伊藤 俊子 乳呑児の思わぬ足蹴木の芽風 (横浜) 教科書のイラストずくし入学す 夫といる古酒のまどろみ花の冷え 大勝すみ子 花片を踏む足音に酔ふばかり (東京) 春炬燵夫の背中は猫のよう 遠景に桜車窓に花菜畑 吉田 志穂 坂下りてきしタクシーの花まみれ (横浜) 十本の土筆煮て足る夕べなり はこべらも雀も土が大好きで 坂本あかね 花屋出て空を仰ぎぬ涅槃西風 (栃木) 日暮れても足場組む音ぐみの花 春霞飛行機雲の残すあと 金子 和江 たんぽぽの綿毛を飛ばし三歳児 (横浜) 囀りや庭いっぱいにシーツ干す ひと鍬のみつばのさわと香り立つ 柴田しげ子 春耕の土黒ぐろと字二番 (東京) 「蝶よ蝶」少女声張る日曜日 地方紙にゆるく包まれ山の独活 白石 菊代 新色の口紅を引く春の風邪 (東京) 雛納め一番星のきらめきに 合格のメール顔文字春の宵 野中 秀子 梅見かなサンマル弁当取りながら (東京) 花嵐も香華の焔舞上がる 小林みつ子 青天に花見せつけて辛夷咲く (東京) お茶漬けの菜の花入りの塩昆布 三宅 優子 白菜を漬けるばかりに唐辛子 (東京) |
干鰈終末医療つばらかに 古川 塔子 「終末医療」とは「がん等の末期患者が残された日々を「生活の質」を重視して過ごせるように、患者の心身の苦痛や不安を和らげるための治療を重視して、医療従事者、ケースワーカー、家族等が協力して行う総合的なケアのこと。このようなケアを専門的に行う施設を「ホスピス」と呼ぶ」(総理府)という。 たいへん重たいテーマへの挑戦だが、ここではそれを具象化せずに「つばらか」という言葉の重さと干鰈で表現している。つばらかとは、詳しいさま。十分なさまのことで、つまびらかと同じだが、現代語では耳慣れない。つまりありありとそれを直視しているということだろう。 この「終末医療」は、父母なり家族なりが直面しないとだれもが先送りする問題だが、それをあえて一句にした意欲を買いたい。句としての成功不成功はその先にあるのだろう。 「中高年亀鳴くことを待つことに」これをリストラなどと結びつけることも出来るだろうが、言い換えれば、「少年老い易く学なり難し」と同じような感慨とも取れる。「亀鳴く」が軽妙。ただし俳句は中高年から輝く文学。亀の鳴くことを待つ場合ではない。 杭打たれし青春遠く花筏 真木 麻子 「青春遠く」といった直接的な感慨には賛同できないが「杭打たれし」の措辞がそれを補ってあまりある。かすかな風にも消えそうな花筏が希望のように輝いている。 「眼科出て焦点いまだ糸柳」これもちょっと悲しくちょっとおかしい句。これも「糸柳」という季語付かず離れず効果的に働いている。 ムスカリの子孫繁栄嘘じゃない 小高 沙羅 今月は特別作品も発表。だから「鴎座作品」の質が心配だったものの、心配は無用だった。彼女らしく楽々とこなしているように見える。この句も「ムスカリ」のある姿ををしっかりと捉えている。「子孫繁栄嘘じゃない」などという言葉はなかなか出てこないもの。これも自在な心の働きがあるからだろう。ちなみにムスカリはユリ科の園芸植物。春、濃い青紫の花がたくさんつき、ブドウの房を逆さにしたようにも見える。 「風光る砂丘の愛を消さないで」「三月や髪切ることも出来ごころ」も明るく響きあっている。 ネーブルのうやむや開き十二歳 田辺 花 ネーブルというのはなるほど、いわれてみるとすっきりと皮が剥けないもの。それを「うやむや」というのは瞬間的な詩的感覚。不安な十二歳とネーブルが支えあっている。 「いつの間に深き河越す啄木忌」も「深き河」がいい。「たっぷりのペンキ塗りたて土手萌える」は、芥川龍之介の「青蛙おのれもペンキぬりたてか」と同じ感覚だが、おそらく彼女はこの句を知らなかったのではなかろうか。知らないで出来たとすれば恐ろしい感覚だが、知っていたとすれば草萌えとペンキはやや付き過ぎることに気付いて欲しい。 彼女は「鴎座」ではもっとも若いうちの一人。こうして句をみればその感性は十分だが、句会にも出席出来ないほどの多忙な毎日。俳句はいまを精一杯生きる文学。 もう少し俳句を生活の中心に据えて欲しいと願うが、まだ時間の貴重さに気付かないのも止むを得ないのかも知れない。体力も気力もあるいまこそなのだが。 甲斐一之宮次週よろしき桃の花 辻 今日 この句は「甲斐一之宮」という固有名詞の働き。「次週よろしき」が明るく一句を奏でている。ちなみに甲斐一之宮は、桃の季節に男性が女装して神輿を担ぐ「おみゆきさん」で知られている。だからこそ「桃の花」に期待がふくらんでいるのだろう。 「春の夜のノックしてより胡桃割る」も「ノックして」が姿をとらえているだけに楽しい一句。 ペイオフに深刻なんぞ流し雛 川村としえ 「ペイオフ」(金融機関が破綻した場合に,預金が全額払い戻されないこと)の句も見かけるようになったが、この句はそれに付き過ぎないで、さらりと「流し雛」で納めて味わい深い。 どじょっこふなっこ牛乳風呂はわたし 鷲田環 童謡をふまえているのはいうまでもないが私は牛乳風呂といってドジョウや鮒と同化した。口語を多用しながら自由に俳句を書いて、これからが楽しみなひとり。口語の俳句はともすれば、長くなったり、リズム感が悪くなったりするもの。この句も原句に少し手をいれた。「啓蟄や宇宙旅行は団体で」もほとんど片言だが、だからこそ楽しい。 ふらここや名なし橋より東京都 小川 侑子 私や作者の住む板橋区も東京都と埼玉県の境だが、名なし橋はない。だからふらここ(ブランコ)と「名なし橋」でいろいろな場所が想像出来ることが、この句の味わいだろう。ふらここから奥多摩のような山間の子供のことを思うことも自由なのだ。 「水買いに婆の繰り言夏蜜柑」は、水を買うことへの違和感、これも現代の生活感覚。 鯨翔ぶ日もあればいい春の空 倉本 岬 やはり鯨が翔んでおもしろい。俳句はなんでも想像でき、またそれが詩情を呼ぶ。鯨の質感がいい。 「しゃぼん玉吹くこの先の佃島」は、しゃぼん玉と対比された佃島が浮かび上がってくる。これも一種の写生の効果。 院長が雪代山女語り出す 小池 都 他の句からも見て、いいことかどうか判らないが病院と「親しい」日常が見えてくる。大病院でない掛かりつけの医師との対話。それが「雪代山女」になれば、もう止まらないのかもしれない。患者のほうが聞き役になってはおかしい。だから俳句なのだ。 「萬愚節きれいさっぱり体脂肪」、「ボキャブラリー足りていますか百千鳥」も多くを言わずに味わいがある。それが俳句の基本的な方法だから。すでに実績のある作者であろうが、「鴎座」にまた新しい感性が力強く登場した思いを深くしている。 来世には地植えしましよう花ミモザ石口りんご 山小屋の日射し光太郎忌と太し 月並みを許されている花菜かな どの句も屈託がない良さがある。特に「月並みを」は俳句に関わるものとして、ドキッとさせられる。 ただし今月はやや玉離れが早かったのかも知れない。どの句も少しづつ手を加えた。原句と比較して欲しい。原句「来世に地植えしましよう花ミモザ」「山小屋の日射しの太し光太郎忌」「月並みを許されている花菜中」 曇天にずれ込んでゆく白木蓮 長谷美知子 陶片の反りもちて饐ゆ白木蓮 二句とも白木蓮をストレートに詠んでいる。つまり一句一章だが、これは「帚木に影といふものありにけり」(虚子)と同じように、本質をずばっと突かないとただごとになる。しかしこの二句、一句一章に挑戦してそれなりに独自の把握があることを評価したい。いわばこれは直球勝負なのだ。 丸木橋の沈み心地に百千鳥 柳田 芽衣 丸木橋も、やや現実感が薄らいできた。だからこれは春の心象として読むことが自然かも知れない。「沈み心地」の柔らかな叙情に共感。 「さざなみの錫の紙より蝶生まる」、「さざなみの錫」としてこれは確かな写生。 蕗の薹襁褓を高く掲げし日 木谷はるか 子育てを終えた母の誇り。それが襁褓(おむつ)の旗なのだ。 落花舞う八百屋お七の仕業かも 石口 栄 花吹雪は確かに「お七狂乱」、火のような女にあこがる心境は男性の心の片隅にいつも眠っているのだろう。 なお、心に残った作品を挙げる。 乾杯の音頭畦塗未完成 小平 湖 牡羊座生れで黒の花衣 宮澤せい子 お祝いも見舞いもない日田芹摘む村田紀久子 郭公や忘れるために辞書をひく 石井 晴雨 しゃぼん玉絶対音感ずれてくる 杉浦 一枝 朝な朝な空の機嫌を桜どき 増田 萌子 獏を見し春の夜地球温暖化 森田かりん 田一枚守りて息災ご開帳 山根 松於 初恋の雲にのりたる葱坊主 井戸 美子 めんどりを抱き締めてゐる春の風 松嶋麁人泉 たたずめば夫のたたずみ紫木蓮 関 千恵子 パーキンソンの別れの握手花の夕 谷口久江 主婦見習ひ虚子忌といふに眠たくて 北田はれ子 冬茜はずれ馬券の寄る屋台 中野 由美 |
| 鴎座作品 | |
| 鮎焼きの頭からいく五十代 小平 湖 花アカシアへぽろっとこぼす男運 (東京) 「まんずまんず」は叔母の地遠しあたたかし 薔薇よばら頬杖なんて似合わない 不機嫌な右脳五月の風通す 宮澤せい子 夏きざす厨のワークシェアリング (東京) 梅は実に園児の好きな消防署 半夏生短冊ほどに窓を開け なかなかの勾配高尾すみれ咲く 倉本 岬 花こぶし取柄といえば大きな瞳 (東京) 私より屈伸苦手君子蘭 鬼がいる富士の根方のかくれんぼ げんげ田のどこまで晴れて無一物 増田 萌子 天守閣晴れたらいつも燕来る (東京) 旅いかが絵手紙に青しゃぼん玉 日曜はパパっ子指して鯉のぼり 遠祖に近づくたびに踏む落花 長谷美知子 初蝶の翅軋む音ありぬべし (さいたま) 長生きの途中地球に春の月 神鏡の曇りは神慮松の芯 蛙鳴く落書き責めに道しるべ 大貫ふじ子 鯉のぼり巡礼古道その中に (東京) 太鼓橋より戻りしこの世藤の花 春うらら尋ねる人は川上に 畑を打つみすゞの石を拾いあげ 石口 栄 鯉のぼり智恵子の空に欠伸して (東京) 田水張る棚田に雲を散りばめて 不忍池(しのばず)のネオン見飽きた蛙かな 足伸ばす昼寝ほどにはナース室 姉崎 蕗子 腰に巻く上着ひとつが更衣 (東京) 鯉幟犬のけんちゃん叱られて 背伸びして水盤舎屋根の花なずな 酒愛す遺伝子もたずこいのぼり 白石みずき 青嵐変声期もある応援歌 (東京) 編みかけの蜘蛛の巣五月の風の中 更衣少女の肘は鋭角に マニキュアと電気ブランと三鬼の忌 小池 都 白魚の箸より逃げて酔いやすし (東京) ふらここを押され何かがおこりそう 虹二重石から石へ道標 退屈に退屈地虫出てきたよ 古川 塔子 春風の丸や三角安静中 (東京) 嘘ひとつ覚えし幼な花大根 菜の花のゆらゆら続き癌年齢 実梅小さし山姥の乳首ほど 柳田 芽衣 春宵やコの字に曲りポストまで (東京) 被写体のもよりの獣医紫荊 屈伸のはじめ上着を連翹に 粽解く女系家族の五日かな 柴田 菜(な)花(か) SLの汽笛抱へて山笑ふ (東京) 自転車の手放しする子夏燕 げんげ田を離れてげんげ首飾り 武蔵野の木の芽田楽焦げ具合 小川 侑子 地球儀の赤道褪せて花菖蒲 (東京) 桐の花歯科医の二つピアス穴 おんおんと窟の毘沙門四月尽 青饅(ぬた)や歪みのままに織部焼 石口りんご 蛤が八割占めて輪島椀 (東京) 更年期障害もなく花大根 浅茅が花街の耳鼻科の代替わり 砂時計ルーペで拾う春の音 鷲田 環 桜鯛ワイングラスに夜の青し (東京) 舟盛りのお刺身がばり三鬼の忌 野茂・新庄・ボンズ・ジョーダン春ひらく 大書院明け放ちたる牡丹かな 神津ふかし 仏蘭西は四月の魚で万愚節 (川崎) 注・フランス語でエイプリルフールを四月の魚(ポワソン・ダヴリル)という。 読み倦いて永き日暮れぬ蕪村集 ボレロ止む新樹は夜もみどりなる 霾るや狂いはじめる血糖値 中野 由美 紅梅の濃すぎ朝の胸さわぎ (横浜) さよならの春の感冒たまわりし 長すぎる縁(えにし)からから風車 岩桔梗遠峰に人の名を飛ばす 工藤眞智子 シンプルに六十五歳をアマリリス (東京) 手見つめ合い夫婦何やら著莪の花 にっき飴木々透け南風の三拍子 咳飴の割り切れぬ数石畳 木谷はるか 裸木の筋骨を抱く頬寄せる (さいたま) 埼京線雪富士見える側に立ち 石鹸玉を吹くおちょぼ口父の膝 山笑うキトラ古墳に朱雀いて 杉浦 一枝 紋黄蝶介護保険の「か」を知りぬ (東京) マロニエの花の気もらうやや冷えて 鉤裂きの膝に布貼る潅仏会 新緑の五感を覚ます朝の風呂 小高 沙羅 御室桜秘書が欲しいと言われても (東京) 花の道忍者のように夫消える 食べ過ぎの薬を探すパキラの芽 ギヤマンの赤に千尋の春の闇 森田かりん 子規の碑の土やわらかく桐の花 (広島) つばくろや湯屋にどっしり投句箱 筆談のうなずく瞳下萌える 木の芽和へなぜか正気の妻であり 山根 松於 囀の明けを甲斐なき介護また (川崎) 呼びかけて応うる気脈渓鶯 春眠や分裂止まぬ児の細胞 泣き声のとぎれとぎれや若葉風 田辺 花 青梅に弾ける雨や髭を剃る (東京) あんぱんは木村やがよし七変化 半額や上目づかいの雨蛙 葱坊主つづきをみたき夢なれど 北田はれ子 ミロ展の渦と炎と独活をむく (東京) アボガドのつぼみのつかぬ涅槃西風 リラ冷えや猫の尾かくれまた現れて フランス山を汽笛へ下る若楓の夕 谷口 久枝 白つめ草のレイ腰ふって小学生 (横浜) 若葉寒水疱瘡をもらいし子 漱石展にて 文豪小柄宮古上布の黒絣 福助の青き月代夏に入る 山中 信 若葉風小世話焼かれていたりけり (静岡) 緑さす人馬肺腑を染めにけり うぐひすの声潮騒をとほざける 鶯の声あかるくて良き予感 吉田 志穂 昼ビール今日晴天の子供の日 (横浜) U字溝継目に必至すみれ草 「入るな」と芝の出揃う貸別荘 人生のどこまで行くか花筏 森田 泰子 被写体は白つつじです愛という (横浜) 春嵐小枝信号発信中 馬酔木下外湯と決めて人の声 廃校に父の声する二輪草 豊田 勝巳 北斗より大曲線の霞みをり (東京) ことわるもほめて土産のさくら草 縄文のキリモミの火や桑を摘む 佳き言葉若竹一節ごとに聴く 村田紀久子 ほろ酔いの風の渦巻さくら草 (東京) 揚雲雀屋根付橋が空に出て 壷焼の焦げてはじける仲間の輪 水ホース伸ばす全長みどりの日 坂本あかね 敷石のゆるみしあたり蜥蜴出て (栃木) 五月来る外階段のくきくきと 拳骨の丸さ大きさ葱坊主 籾袋ゆすれば亡父が眼を覚ます 石井 晴雨 春耕へ飴玉一つ更年期 (秋田) 種蒔いて父は飲み過ぎ喋りすぎ 葬のゆく桜の散ると蝶になる リラ咲けりハングル文字の並ぶ町 佐藤よしを 白鳥の引きたる潮や蓴採り (神奈川) 天領に春惜しみけり枡の酒 新緑を柄杓に汲みぬ音羽滝 笑顔にて癌告げらるる柏餅 井戸 美子 薔薇園やカメラ三脚遠まわり (横浜) 薔薇に酔い足早に向う蕎麦処 里山に声あげている鯉のぼり 妙義山深く歩いて余花残花 関 千恵子 入学児つなぎあいたる手の堅き (東京) 草むしり早起き栗鼠と眼が合えば えにしだの黄の輝ける朝が好き 弁解の余地なく詰まりブロッコリー 大村 恭子 東風あまき偏平足の鬼ごっこ (東京) カメラ位置ライトアップの初桜 うら桜色鉛筆の数足りず 鯉の背に割られて閉じて水温む 松本 末生 散り敷きて雨には雨の花明り (東京) 一力の吹かれて白き春暖簾 ほろ酔いのいつか饒舌花疲れ 春昼の白の静けさユトリロ展 樋脇 康治 房総の小さきトンネル土筆んぼ (東京) 根津まつり抜け不忍へつつじ風 春の野を過ぎて鉄道分岐点 松嶋麁(そ)人(じん)泉(せん) 額縁に納まりきらず春の月 (東京) 春燈へおかめひょっとこ顔を出し 円周率3で止まりし木の芽道 北澤むつみ 半ドンも死語となりけり春の鴨 (東京) 乙女老う乙女桜の同期会 万緑や炬燵のあれば足入れて 川村としえ 点滴のゆとりの旅や麦の秋 (栃木) 初夏やハングル文字の馴染み難し 古稀仲間献体問答春霞 野中 秀子 心友は商売敵竹の秋 (東京) 新茶汲む母の素顔のそのままに 初夏や筑波全山天にあり 金子 高遠 種を蒔く指の先まで丸くして (東京) 小走りに文字摺草を越える蟻 葱坊主通勤電車は他人事 鹿島 正実 病院の待合欠伸ニセアカシア (横浜) 足四本おたまじゃくしも一年生 婆の歩につかず離れず子持猫 池永 英子 水曜日の懈怠や夏ミカンを剥く (東京) 鳥交じる視線定むる間もなくて 初節句「初孫」という酒下げて 伊藤 俊子 風を待つ大凧いくつ畦茅花 (横浜) 老鴬や緑一色広沢寺 湯疲れを青葉と遊ぶ旅ごころ 大勝すみ子 初島や海の向こうを借景に (東京) 停年の二人伴れして夏模様 母老いぬソフトクリーム児のように 愛川沙喜子 四等分小鉢に分けて冷奴 (横浜) 葉ざくらや二三度鯉が飛び上り 関節の病めるあしたの草むしり 辻 今日 夕暮の藤のむらさきひとりっ子 (横浜) 鳥雲に聴力遠く渦の中 群生のポピー右むき左むき 金子 和江 五月晴二人仲よくハーブティー (横浜) 一年生背中いちめんのランドセル 春一番合点承知の大欅 田原 俊夫 花冷えのティッシュを貰う荷物とす (東京) 濠深み今日の桜を浮かべたり わずらわしい春風の髪バス走る 小野田佳与 縁石の上を気取って歩く春 (東京) 今朝はまだ話すことなく菜飯食う まだ解けぬ知恵の輪くぐる春の風 白石 菊代 疑うを知らない時間チューリップ (東京) 青嵐辻によろける立話 小原 良子 信濃路は花の盛りの日差し待つ (東京) 仏生の甘茶小瓶にそそぐかな 小林みつ子 霞む日や百円店舗のピカソの像 (東京) 桜散る坂道染めて郵便夫 三宅 優子 その銘は「花弥生」なり京和菓子 (東京) |
鮎焼きの頭からいく五十代 小平 湖 鮎はちょっと高級魚だけに「頭からいく」がなんとも楽しい表現。男女を問わず遠慮のなくなった関係が思われるが、女性ならばことさらだ。 「「まんずまんず」は叔母の地遠しあたたかし」は、叔母の口癖だろうが「遠しあたたかし」と重ねて思いを深めている。「薔薇よばら頬杖なんて似合わない」も「鮎焼き」の句と合わせて、前向きに生きている姿が鮮明。いずれも生活感覚が豊かな句。 不機嫌な右脳五月の風通す 宮澤せい子 右脳は大脳の右半分、音楽や図形など言語以外の認識を行うと考えられている。いわば情緒的な感じなのだがそんな「不機嫌な右脳」に五月の風が爽やかに通ってくるのだ。 「夏きざす厨のワークシェアリング」も「厨」だからこその味わい。ちなみに「ワークシェアリング」は失業対策のための労働時間の分割だが、ここは嫁姑の関係をいっているのかもしれない。言葉自体の持つ深刻さを巧みに消していることも救い。新語によって俳句を新しくすることも一つの方法だろう。 なかなかの勾配高尾すみれ咲く 倉本 岬 なにげないスケッチかもしれないが。「なかなかの勾配」で省略が効いている心地よさ。高尾すみれは昭和三年に発見された可憐なすみれ。 4月ごろ林の中に 「花こぶし取柄といえば大きな瞳」「私より屈伸苦手君子蘭」どちらも幼い子供の姿であろうか。「大きな瞳」や「屈伸苦手」などと姿を言いとめて鮮やか。ただ「花こぶし」や「君子蘭」と花、植物を取り合わせたところがもう一工夫かもしれない。 げんげ田のどこまで晴れて無一物 増田萌子 この句は句会でも印象に残った句だった。「無一物」がげんげ田の広がりと自身を対比させて鮮やかだ。 「天瓜粉しんじつ吾子は無一物」(鷹羽狩行)があるが、狩行の「無一物」が赤ん坊にやや密着しているのに対して、この句の「無一物」はイメージが深い。 遠祖に近づくたびに踏む落花 長谷美知子 「遠祖」が、単に祖先なのか、故郷のイメージなのか、やや抽象的だけに、いろいろなことが思われる。「遠祖に近づくたび」が巧み。「初蝶の翅軋む音ありぬべし」は一句一章だがなるほどと思えるところが手柄。 「長生きの途中地球に春の月」も「地球」といって大胆な表現。宇宙の中の自身なのだろう。「初恋のあとの永生き春満月」(池田澄子)に学んだ句でもあろう。 蛙鳴く落書き責めに道しるべ 大貫ふじ子 この句はなんといっても「落書き責め」がいい。焦点がしっかりと道しるべに合っている。まだ俳句を始められて間もないと思われるが、地道な努力を重ねてようやく独自の言葉が生れたことを喜びたい。 「太鼓橋より戻りしこの世藤の花」も「この世」などという言葉は努力なくしては出てこないもの。「春うらら尋ねる人は川上に」も「川上に」がなにげないようでふいと飛躍した言葉。 畑を打つみすゞの石を拾いあげ 石口 栄 みすゞは童謡詩人金子みすゞのことであろう。またそうでなくてはこの句の味わいはない。畑のなかの石は邪魔物かも知れないが、そんな小石にふと金子みすゞを思っているのだろう。詩の中に、この句に通じるものがあるのかもしれないが、それは判らなくてもいいことなのだ。 足伸ばす昼寝ほどにはナース室 姉崎 蕗子 ちょっと足を伸ばすだけの休憩、昼寝したのかしなかったのか、それは言わないのが俳句。「昼寝ほどには」が巧い。職場のある断面がしっかりと切り取られている。看護婦さんをナースというのも定着したと思ったら、こんどは「看護師」というとか。これはまだ俳句になりそうにもない。 「腰に巻く上着ひとつが更衣」「鯉幟犬のけんちゃん叱られて」も、やさしい作者の気持ちが素直に出ている。 酒愛す遺伝子もたずこいのぼり 白石みずき 「酒愛す遺伝子」というのがあるだろうか。「酒愛す」とって問わずがたりに、作者と酒の関わりが見えることもほほえましい。酒が嫌いな人なら「酒飲みの遺伝子」というところだからだ。「更衣少女の肘は鋭角に」は、「鋭角に」で少女のある姿を捉えている。 マニキュアと電気ブランと三鬼の忌 小池都 「電気ブラン」というのは、洋酒が珍しかった時代のブランデー風のカクテル。浅草の神谷バーで販売されたもの。いま考えるとややいかがわしい飲み物でもある。とすれば西東三鬼のようでもあり、それにマニキュアとなればますます怪しくなる。 「白魚の箸より逃げて酔いやすし」も、下五が絶妙。 お酒の句が続いたが、男の酒のようにぐだぐだと情緒的でないところがいい。現代女性の酒の句にも期待したい。「ふらここを押され何かがおこりそう」は巧いが、もうある情趣かもしれない。 退屈に退屈地虫出てきたよ 古川 塔子 「啓蟄」「地虫出づ」という季語が「退屈」で、がらりと変わった面白さ。いま俳句に燃えている作者だが、今月は「春風の丸や三角安静中」「菜の花のゆらゆら続き癌年齢」もそれぞれ工夫されているものの、やや構成的な作り方が気になった。 実梅小さし山姥の乳首ほど 柳田 芽衣 私たちはなんとなく「山姥」と使っているものの、考えてみれば山姥のイメージはあまり定かではない。 山奥に住む女の怪物、背が高く髪は長く口は大きく目は光って鋭い。金時を育てた足柄山の山姥、瓜子姫説話の山姥などが連想される。この句は山姥の乳首といって山姥が肉体を持った女となった。それも「実梅」が良く効いているからなのだ。 粽解く女系家族の五日かな 柴田 菜花 いまは端午の節句は男の節句、だから粽を食べる女系家族の五日がおかしく楽しい。 「SLの汽笛抱へて山笑ふ」「自転車の手放しする子夏燕」みな明るくそしてちょっとおかしい。 武蔵野の木の芽田楽焦げ具合 小川 侑子 「木の芽田楽焦げ具合」とぶっきらぼうに置いて、かえっていろいろなイメージがふくらむ。 今月も次の句など触れたい佳句が多かった。 青饅や歪みのままに織部焼 石口りんご 砂時計ルーペで拾う春の音 鷲田 環 仏蘭西は四月の魚で万愚節 神津ふかし 霾るや狂いはじめる血糖値 中野 由美 岩桔梗遠峰に人の名を飛ばす 工藤眞智子 咳飴の割り切れぬ数石畳 木谷はるか 山笑うキトラ古墳に朱雀いて 杉浦 一枝 新緑の五感を覚ます朝の風呂 小高 沙羅 ギヤマンの赤に千尋の春の闇 森田かりん 木の芽和へなぜか正気の妻であり 山根松於 泣き声のとぎれとぎれや若葉風 田辺 花 ミロ展の渦と炎と独活をむく 北田はれ子 フランス山を汽笛へ下る若楓の夕 谷口久枝 福助の青き月代夏に入る 山中 信 鶯の声あかるくて良き予感 吉田 志穂 人生のどこまで行くか花筏 森田 泰子 北斗より大曲線の霞みをり 豊田 勝巳 |