鴎座 2001年 10月          鴎座俳句会へ

鴎座作品       

晴れ予報朝な揚羽の深呼吸     杉浦 一枝
ふりむけば夏蝶のいる夫との距離
遠花火片耳づつのウォークマン
海よりの青き風あり烏賊を干す
二拍子がワルツとなって萩の風   田辺  花
栗ご飯二折を買う秩父行 
靴洗う台風一過の偏頭痛   
秋の暮甘納豆の指しゃぶる
父と子のゆるき手つなぎ箒草    工藤眞智子
蝉時雨睡眠薬はまだ喉に
尺蠖の変身まじめくすぐろか  
自然薯の「ものわすれ科」に自信あり
敗戦日「玉音」変換ならずして   中野 由美
すいとんのレシピ問わるる敗戦日
玉葱の皮剥ぐほどにわが記憶
A・T・Mの残高ペロっと夏終る       
するめ引く亀と親子の夏休み    増田 萌子
父の忌の誰が花添えし蝉時雨
葛咲くや祝太鼓の山彦に
アカシアの花の散り散り投票所
かなかなや使いに出せば行ったきり 小平  湖
佃小橋鰡の子に目を盗られいて
詰めて挿しあり盆花は膝の丈  
向日葵みたいなピザの朝食ちぎれ雲
新松子(ちぢり)この空いつかこはれそう 鷲田 環
森唄ふニンフがこけもも食べたから
東京の空も蒼いよ零余子飯
長き夜ダンス教えて芙美子さん
沖へ沖へ葉月鴎の青い飛翔     真木 麻子
畳目が冥し八月十五日
鈴懸の鳴らぬ実を振り七十代
もう髪を染めぬ自在を秋風裡
古代蓮濁世を嘆く葉の揺れに    石口りんご
太閤忌お手前の黒砂糖舐め
下駄ドンドン郡上踊りの爺と娘と
鷺草や迷わず拾う熱き骨
百日紅散りやすくして坂の町    小川 侑子
モノクロの空にのけぞる立葵
逆らわず生きて女の顔涼し
図書館の図書の匂いも大西日
百日紅石像の母子腕太く      澤柳たか子
そよ風や土から生まれ夜の秋
揚羽蝶ゼブラゾーンをあえぎ飛ぶ
木槿垣試歩の媼の腰伸ばす
ニイハオの言葉通じて夏列車    松浦  釉
枝豆や話折り合ふ拇印の朱  
茄子漬けて話し上手に聞き上手 
幸福の木の五円玉パリ祭
風起こる風船かづら揺るるほど   松村  朋
秋うららあきらめないか鳶の輪 
かめ虫の味方になりて饒舌に     
「立ち入り禁止」ですままこのしりぬぐい
曖昧に生き蟷螂の眼にささる    金子 高遠
たっぷりと虫鳴く後ろ側の闇 
串焼きの串に火のつく震災忌   
桃の産毛迂闊に触れし泥の指     
蜩や灯さずにいるもう少し     谷口 久枝
制服の恋人同士青蜜柑   
畝作る夫の予定の大根蒔  
赤とんぼ鍵はいらない山の村  
長い足もてあます子の貴船川床   宮澤せい子
窓越の唇読みし鳳仙花  
野紺菊素直になれる風の来て 
霧雨や盗み笑いの古本屋      
郡上踊り赤い鼻緒が闇を蹴る    石口  栄
陽を孕み桃太郎太るトマト畑
キャベツ割る人間の脳みてしまう
糸瓜棚懸垂出来ぬ現代っ子
長電話邪魔する夫や柿青し     小高 沙羅
鴨居より高い背の客ほたるの夜
肌色がないと泣いた日栗の花
盆休み朝はふたつの黒砂糖
シャツの背のごわりと立ちて台風来 柳田 芽衣
濡れてつく書状一封昼の虫
かたまって真赤な声の唐辛子
膝ついてすます身じまい酔芙蓉
郭公の声沈みゆく鎌倉湖      田原 知子
愛飲家天(あまの)?丸(ひろまる)
狂歌碑へ冷しボトルの水注ぐ  
「堆肥無料」の清掃工場ゼラニューム
蝉骸その身へもぐる蟻千匹
捕虫網のこし子ら去る石見かな   久保 康輔
二度三度下枝にふれて木槿散る
木槿散るかすかな音を地にあつめ
始めての門火焚きたる姉の文
メル友は猫のハナです夏見舞    堀越 鈴子
日光きすげ一日だけの恋をする
鈍行と青田があれば何もいらぬ
賞味期限切れます日傘の立ち話
未来図は骨量不足鰯雲       木谷はるか
空缶のきまま気になる天の川    
大きい秋一輌列車の駆け抜ける  
小さい秋寄せて寄せて気功術 
炎昼や鳩がたっぷり水飲んで    竹内志摩子
キャベツ畑大地にボタンを嵌むように    
蝉の羽化白き体をゆるゆると 
凌霄や手招きをして風ゆれて  
余生とは冷そうめんの手抜きかな  野中 秀子
わさび田に秋立つ雲の流れけり  
今朝の秋メル友やっとメール来る
台風の目とにらめっこ老二人
道化師を真似て西瓜の種を吹く   村田紀久子
両手あげ小さき詩人秋の風
万年青の実眼鏡外して深呼吸
行き場なきサンバパレード秋の声
目隠しの手をそのままに赤のまま  小池  都
霧ごめの武蔵野動く雑兵か
震災忌リアドロ人形置き換える
しあわせを土産に分ける夏帽子   関 千恵子
幾重にも花火の中に花火打ち
ねじれてもねじれても好きねじれ花
苗代の水の山並手でゆらす    辻  今日
秋海棠少女のうなじ青白く
赤とんぼ水辺に朝のミーティング
秋暑し風なまくらによどみけり   大勝すみ子
茸汁一椀の香を味わひて
月走り吾も走るや万歩計
幼な子が手振り足振り阿波踊り   吉田 志穂
誰が化身蛍わが手に舞い下りて
月涼し空想世界に入り込み
蝉の声聞こえぬ耳を幹にあて    湯浅よしみ
耳鳴りは少年のとき土用波
蝿取蜘蛛現れ嵐去る気配
あいまいに暑さ仕切りし麻のれん  大村 恭子
生まれはネ神楽坂なの夏燕
変わりなき夏の空・風三宅島
扇風機猫の近くに移しけり     北田はれ子
京茄子や昼のワインをもうひとつ
子守唄仔猫の眠り深まりぬ
湯屋の外銀河こぼるる街ありし   笹川儀三郎
水はやし舟さす音の隣る秋
地震の闇はや明けきしに秋日向
八月や夜明一日ずつ淋し      川村としえ
完熟トマト今掌中の玉なりき
投票所の無口鯛焼二尾の夏
木道をたよりに歩く深い霧     井戸 美子
びいどろのぴこぴこと跳ね長崎忌
はがき絵にかく彼岸花自在なり
合歓流す慣わし近く亡母がいる   白石 菊代
解説のはきはき台風予報官
炊飯の蒸気の強き今朝の秋
夏風邪の夫が真顔の粥三日     池永 英子
ご挨拶乳似母似の半ズボン
体内の循環乱し台風来
東京に無しと思ひし星月夜     芝原 郁郎
星合の二人しずかに待つ夕
かすかにも聞こゆ文月のアヴェマリア
母の忌の風がからまる蟻地獄    原田多磨子
空景気唐紅の咽喉仏
夏菊やなにか哀しい寓話にて
鉄臭き昼の水飲む残暑かな     中野 芳郎
山荘に楽器の多き蝉の殻
橋桁は貝殻墓標秋の月
火星出て夏三角をのぞきおる    豊田 勝巳
涼風やピアノの音の宙を舞ひ
草焼の煙たなびく秋の空      久保 祥子
ふぞろいの栗をたずさえ友来る
炎天に祈る日めぐり五十年     田崎十三子
打水の流れ行く先三輪車 
花屑摘む今日の便りはなに便り   北澤むつみ
花火の夜空に子供の星光り
ネオン街の風といえども夕涼み   大貫ふじ子
切通し日傘傾けすれ違う
盆提灯明日はわからぬ火入れかな  岩田きみ江
夕立の子供両脇走り出す
朝顔はむらさきピンク大輪で    三宅 優子
鉢植の朝顔咲きぬ今朝の水
立秋の猫座蒲団を占領し      森田 泰子
冷し酒夜空の花を愛でていて
日暮待ち縁台賑わう西瓜割り    鈴木二三江
夫と聞く香に酔いたり遠花火
初秋や宝塚という花の鉢      小林みつ子
秋立つや時事放談に耳をかし
高原の頬なでる風朝寒し      矢部 清美
母卒寿薔薇を抱きて空の旅

晴れ予報朝な揚羽の深呼吸    杉浦 一枝
 
「晴れ予報」と冒頭に置くのは私の「雪予報母よ背筋を伸ばしなさい」に、やや近いかもしれないが、「朝な揚羽の深呼吸」は、充分に独自の味わいを持っている。とりわけ「深呼吸」の把握が快い。
「ふりむけば夏蝶のいる夫との距離」も「距離」と大胆にいいきって「夏蝶」が響きあう。蝶というのは、ある意味では美の象徴でもあり、やや少女趣味的な感じがしないわけではないが、ここにいる蝶は夏蝶ということもあろうが、みな確かな存在感を持っている。
一枝さんには若々しいという言葉が、必ずしも誉め言葉ではない年齢ではあるものの、「遠花火片耳づつのウォークマン」のように、若い恋人たちへの眼差しも、素直な共感の眼差しである。やや甘い感覚が新鮮に、計らいなく響いてくるのだ。

二拍子がワルツとなって萩の風  田辺  花

「萩の風」というのは、どちらかといえば古い俳句の情緒が付きまとっているのだが、この句は「二拍子がワルツ」といって、みごとに新鮮な一句となった。ワルツはいうまでもなく三拍子、それといわないところも計らいのない上手さ。一枝さんと同じように若々しい感性が、「鴎座」にくっきりと登場した。
「秋の暮甘納豆の指しゃぶる」も「秋の暮」という和歌以来の情緒に拘らず「甘納豆」と取り合わせて現代に感動的に再生させている。
ちなみに和歌の「秋の暮」は、「寂しさに宿を立ち出てながむればいづこも同じ秋の夕暮れ」(良暹(りょうぜん)法師「後拾遺和歌集」)、「見渡せば花も紅葉(もみじ)もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮」(藤原定家)、
「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮」(西行)など「寂しさ」「あはれ」と結びついて考えられて来た。
芭蕉はさすがに、和歌的な世界と異なり、普段見かけられる烏に新しい秋を発見したのは知られているところ。
枯枝に烏のとまりたるや秋の暮     芭蕉

父と子のゆるき手つなぎ箒草   工藤眞智子

この父と子は自身のそれというより、第三者のそれであろうが、「ゆるき手つなぎ」と把握して、現代の父と子を形象的に描き出すことに成功した。「箒草」は、虚子の「帚木に影といふものありにけり」があまりにも有名だが、それと重ね合わせて、愛とかそういったものでない、はかなげな親子関係が幾重にも思われるのだ。
「尺蠖の変身まじめくすぐろか」も楽しい。尺取虫のその擬態を「まじめ」といった例はないようにも思う。
「自然薯の「ものわすれ科」に自信あり」の「ものわすれ科」は、老人性痴呆症の診療科のことらしい。DHAなどが、その予防に効果的といわれているが、この自然薯もそういったものだろうか。これも新しい言葉を詩的に生かすことに成功した句だ。それにしてもおかしくも悲しい。

敗戦日「玉音」変換ならずして   中野 由美
すいとんのレシピ問わるる敗戦日

敗戦忌(終戦忌)はいつまでも風化しない記憶。「玉音」が、ワープロで変換出来なかったということだろう。だからなんだというよりも、そこには「玉音放送」つまり終戦詔語放送に対する抵抗感を読み取ることができるのだが、それが露わでないところが、かえって味わいが深くなるのだ。
ちなみに終戦詔語は難解そのもの。それを聞いて敗戦と考えた人は少なかったのではないだろうか。その冒頭を引いておく。「朕(ちん)深く世界の大勢と帝國の現状とに鑑(かんが)み、非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、茲(ここ)に忠良なる爾(なんじ)臣民に告ぐ。朕は帝國政府をして、米英支蘇四國に對し、其(そ)の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり。」
「すいとん」(水団)も、非常食だったが、最近のすいとんは具も多くおいしい。そのすいとんと、この「すいとん」は異なるもの。それをレシピ(料理の材料と分量、作り方)として聞かれてもという句なのだ。なお「A・T・Mの残高ペロっと夏終る」の「A・T・M」は、銀行などにある現金自動預け入れ払い機のこと。

するめ引く亀と親子の夏休み   増田 萌子

夏休みは新しい季語だが、それだけに成功例は少ない。親子は常套としてもここは「するめ引く亀」が出てきて具象的となった。
「葛咲くや祝太鼓の山彦に」は、なかなか本格派の句。「山彦」が効いている。
      
かなかなや使いに出せば行ったきり 小平湖

「かなかな」に気をとられてお使いを忘れた小さい子供の姿だろうが、今のことというより思い出の句かもしれない。しかし、それといわない潔さが快い。俳句は「いま、ここ」を詠う文学ということをしっかりと踏まえているのだ。

新松子この空いつかこはれそう  鷲田  環

「新松子」というこれもいかにも俳諧的な季語がすっかり現代的に感じられるのは作者の腕だろう。 
「森唄ふニンフがこけもも食べたから」、「東京の空も蒼いよ零余子飯」、「長き夜ダンス教えて芙美子さん」とすべての句を書き出すことになってしまったが、どれもだいたんな措辞が楽しい。
詩的感覚のよさは今後に期待が大きくふくらむ。それだけに今後の課題は形象化(いわゆる具象、写生)だろうか。
最後の「芙美子さん」は、カフェの女給をしていっという作家の林芙美子のことだろうが、そうと決めなくても楽しい。

もう髪を染めぬ自在を秋風裡   真木 麻子

髪を染めることにも気を使うことのなくなった年齢、それを「自在」として、しっかりと自己の年齢に真向っているのだ。「鈴懸の鳴らぬ実を振り七十代」とあるから、七十代なのだろうが、これも突き抜けた明るさが救いなのだ。

古代蓮濁世を嘆く葉の揺れに   石口りんご

ふと太穂先生の「法拒みつ寒遠つ世も火炎土器」を思い起こした。いつの夜もよき世の中を願いながらも、それにしても濁世といいたくなるこのごろ。その感慨は深い。「下駄ドンドン郡上踊りの爺と娘と」もしっかりした形象。
    
モノクロの空にのけぞる立葵   小川 侑子

いいたいことがたくさんある作者だが、この句はそれを抑えて「立葵」の姿が印象的。「図書館の図書の匂いも大西日」もうっ積した思いが、大西日にこめられている。
その他、心に残った佳句をあげる。

ニイハオの言葉通じて夏列車    松浦  釉
百日紅石像の母子腕太く     澤柳たか子
風起こる風船かづら揺るるほど   松村  朋
曖昧に生き蟷螂の眼にささる   金子 高遠
蜩や灯さずにいるもう少し     谷口 久枝
野紺菊素直になれる風の来て  宮澤せい子
キャベツ割る人間の脳みてしまう 石口  栄
肌色がないと泣いた日栗の花   小高 沙羅
シャツの背のごわりと立ちて台風来 柳田芽衣
狂歌碑へ冷しボトルの水注ぐ   田原 知子
二度三度下枝にふれて木槿散る 久保 康輔
メル友は猫のハナです夏見舞   堀越 鈴子
未来図は骨量不足鰯雲      木谷はるか
炎昼や鳩がたっぷり水飲んで  竹内志摩子
余生とは冷そうめんの手抜きかな 野中 秀子
道化師を真似て西瓜の種を吹く 村田紀久子


鴎座 2001年 11月          鴎座俳句会へ

鴎座作品       
家系図の祖父より先は烏瓜             真木 麻子
薄目してはは待ちており曼珠沙華            (広島)
折合いをつけし父と子鰯雲  
鶏頭の影の屈折アフガンを  
本日はお日柄もよく稲の花             石口りんご
郡上踊り闇にのけぞる大男               (東京)
もろこしを剥くきゅるきゅると日曜日          
登高や欅の精を呼んでみる
秋冷やかすかに魚の息を吐き            増田 萌子
秋の夜や落人説は母の里                (東京)
隠元摘む父の手首の柔らかき 
朝蜘蛛や金運なくて夫がいて
草餅や月島熟女あるがまま             小川 侑子
マネキンの背丈の伸びる浴衣かな            (東京)   
罪つくりカンナの花の厚化粧  
薫風のSL駅に小座布団
夫の留守薬味いらずの新豆腐            田辺  花
たこ焼きのソースが焼けて花八手            (東京)
そのままでいい笑い皺蜜柑剥く
階段に冬日人口密度増す
好きなように生きてるかしら烏瓜          白石みずき
東京タワーの明りいただく生姜市            (東京)
白樺は森の貴婦人蛇笏の忌   
秋うらら男爵いもも伯爵も
木犀へ私鉄乗換え乗り継いで      鷲田  環
アフガンに銃持つ少年さくら蓼       (東京)
鴎座のわたしは鴎冬用意    
天高しひと日筆研ぐこころ磨ぐ   
雨月の灯こぼし夫婦は別の趣味     谷口 久枝 
テロを忌む木犀の雨聞いており       (横浜)
新涼の雲ゆるゆると水の底
九十翁の呂律聞き取るちちろ虫
失業率のうぜんかずらどこまでも    木谷はるか
農の爺ときに空耳上り月        (さいたま)
名の自然足の大きく次郎柿  
歳時記の月白のどこにわか雨    
万歳だけが揃う二歳児天高し      中野 由美
割り算の余り無限に豊の秋         (横浜)
穴惑いココアこっくり胃の腑まで   
無月にて探そう星のコンセント  
児と老の「とまれ」掛け合い露けしや  柳田 芽衣
櫨紅葉土橋渡れば葬の門          (東京)
とんぼうをふりかぶりきてふりかえる 
月を背にうけ飲食の一家族
気負わない生き方へくそかずら咲く   倉本  岬
鶏頭の種の弾ける百年忌          (東京)
煮っころがしことことことと誕生日
風鈴の鳴る日鳴らぬ日赤子鳴く
日雷ピエタを写す真っ先に       古川 塔子
人間と駱駝が仰ぐ一満月          (東京)
杜鵑草母とわたしにある黒子  
秋桜空に濁りのなき日かな
かわらけを投げて晩夏の恋予感    杉浦 一枝
四つ目も崩れた字面墓洗う         (東京)
更紗縫う指秋の日のぐれやすく 
盆地行くうたた寝銀河電車です
子離れよし親離れよし竹の春      堀越 鈴子
白萩のこぼれに並ぶ膝小僧         (東京)
秋灯やハリーポッター覗く窓    
向日葵にモネと命名無人駅      
いい子だといわれし仔猫大あくび    北田はれ子
俳句三昧とは朝寝坊することか       (東京)
秋風やみたび開きし去来抄 
バロックの響きに押され草むしり
吾亦紅素描の母に触れている      斎田 史子
鷺山の天辺争う葛の花           (千葉)
残る蚊の耳元に来るヴァイオリン
結納の口上まずまず小鳥来る
コスモスの万と揺れれば船酔す     石口  栄
稲の香の闇に流るる魚沼郡         (東京)
渓紅葉橋の真中に山動く  
紅葉前線いま列島の臍あたり
沢桔梗時計のいらぬ一日なり      宮澤せい子
引力の強さと弱さ木の実降る        (東京)
蓑虫と電車来るまで遊びけり
団栗のへたと青空詰めてきし 
油画(ゆが)を読む高橋由一の鮭の朱(あか)      澤柳たか子
台風一過頬やわらかき空気吸う       (東京)
トランペットの盛り上ぐ祭鮭ちゃんちゃん
ぶどう狩奥へおくへと目のとんで 
傷のなき空見るものもなく刈田     金子 高遠
太陽の色をいただき烏瓜          (東京)
松手入終りを急かす夕鴉   
菊人形臍のあたりに日当たりて 
亡き父母の婚の写真も帰省の夜     小高 沙羅
「まさかねえ」位牌と話す栗ご飯      (東京)
星が降るほったらかしという温泉
特急券のいらぬ特急稲実る  
火の色かいくさが匂う烏瓜       井戸 美子
出刃を研ぐこれも武器なる破芭蕉      (横浜)
芋茎なぜ富士山頂の土産物    
呆けしよりやさしい笑顔紅芙蓉
  亡夫へ                   
秋収め足の爪切りこれっきり      村田紀久子
蓮実飛ぶ出迎へてゐる宇宙人        (東京)
彼一語秋の気配の駅に佇つ  
黒葡萄地球のゆがみ知らないの 
ありありと対岸彼岸野分跡       川村としえ
路傍の花水引き草は雨もらう        (栃木)
運動会雲に限界ありそうな   
行く夏の左回りに探照灯  
秋の十字架パウロ二世の言掲ぐ     田原 知子
星明り犬もすずろに札(ふだ)の辻         (横浜)
画学生魚網オブジェが秋港 
村井公園「食道楽の碑」
秋高し荒黒松と弦斎碑
歩に合せバッタ飛び散る千枚田     竹内志摩子
千枚田胸豊かなる案山子いて        (横浜)
木犀や角を曲れば思い濃き  
秋雨やまばら蝋燭水子洞
宿題の追込みですよ法師蝉       大村 恭子
さらっさらっ五六粒先に喜雨となる     (東京)
集配のばさっと音の鰯雲     
暫の顔の団扇や波涼し 
憎しみという言葉はいらぬふかし芋   伊藤 俊子
相模川腰まで水の落鮎つり         (横浜)
遠き日の友の名前や紫苑咲く  
無人売場残りし栗の一袋
鮎釣りの夫の背中の大きくて      関 千恵子
雨を見る雨を聞きいる籐寝椅子       (東京)
青蜜柑空の高さに伊豆の海
夜吹けてこおろぎのいる厨です
禅寺の鐘打ち鳴らす太閤忌       原田多磨子
信州の琥珀の色のこぶし柿         (東京)
白菊の家出るたびの霊柩車    
九龍凧見上げ歓喜の童子かな
蕎麦咲いて大安曇野の風白し      野中 秀子
ずいき干す過疎の広がる日だまりに     (東京)
秋晴れや吹割の滝をふり出しに          
若衆と子供ちらほら秋祭 
雨女今日もいるらし吾亦紅       柴 さわ子
ありったけの塾女の思考曼珠沙華      (東京)
逢いたいと言わぬ電話や夜のちちろ
白桃やうつらうつらの真昼にて
秋雨の厨によどむ一日かな       大勝すみ子
秋時雨病葉となるわが影よ         (東京)
橋立ての湖におぼろの月夜なる
湯豆腐の舌にころがる暑さ暑さかな
愚痴詰めしぎゅっと結び目青柘榴    白石 菊代
しあわせは秋茄子よく煮えしこと      (東京)
耳底に虫を一匹飼いならす
脱水の一分長くいわし雲
妻五六剥く間にひとつ栗を剥く     久保 康輔
始めての雨に匂へる稲架襖         (島根)
鶏頭の下葉のたるゝ残暑かな 
古代米守もる案山子のへのへのも    吉田 志穂
溝蕎麦の覆いし下の水の音         (横浜)
群れ家族小家族あり曼珠沙華
粗大ゴミ出し一息の秋の空       久保 祥子
間引菜を漬けて今日の日終りたる      (島根)
秋寒や残りし月は雲の中    
地藏さんになれば止りし赤蜻蛉     旭 じゅん
酔芙蓉ためらいもなく昼の酔        (千葉)
川を浚う生物調査や泡立草
運動会本番なれば立見席        長澤 義雄
秋晴やてるてる坊主忘れられ        (東京)
唱歌こそ齢のための遺産かな
ダムサイト空に線引く岩つばめ     辻  今日
灯を入れるほたるぶくろや霧流れ      (横浜)
耳鳴りのしばらく消えし秋日和
紅葉山背中を古人通り過ぐ       中野  鯨
秋の山野太き息は背負籠        (さいたま)
傷口は飢えに似ているかりんの実
ちちははのそのちちははの曼珠沙華   松村  朋
一夜城あとやかなかなコンチェルト     (埼玉)
かまきりの脱皮六十路の天眼鏡
明日も咲くむくげか友の死を越えて   湯浅よしみ
茹であがる玉蜀黍の健康美         (東京)
晩学の夜更けの読書蚊の集い
横縞に簾陽を切る秋近し        岩田きみ江
弱みをばさらして眠る街の蝉        (東京)
帷子やいつか召される秋彼岸
鎌倉のきざはし登る大銀杏       三宅 優子
新涼や美術館なる竹定か          (東京)
秋めくや鎌倉彫は艶やかに
庄内砂丘桃白き尻連なりに       江川 邑節
同時テロ羽交い絞めらる秋茜        (東京)
秋風や平家落人萱の家         金子 一枝
株下がる八百屋の蕪は上がり気味      (横浜)
女ありて夾竹桃のはや九月       芝原 郁郎
老人の背丈を超えて日輪草         (東京)
秋雨にのこり鬼灯何思ふ        森田 泰子
どこからかつたふ雨漏り台風に       (東京)
野良猫の親子三代秋暑し        北澤むつみ
コスモスはアロマテラピー待合室      (東京)
冬瓜の野鼠の歯型郷ばなし       池永 英子
庭守の今日ねじり花刈り除けて       (東京) 
鬼灯の熟るるはその根照らしけり    豊田 勝巳
汗拭きて読経がやがて説教に        (東京)
秋空へ御仏が立つ石の街        大貫ふじ子
家並切れねぎ深々と土被る         (東京)
青空へ鷺とぶ風力発電所        鈴木二三江
放たれし蛍と遊ぶ椿山荘          (東京)
一服や釉薬白く流れいて        久保 貞子
ねこじゃらし風にいつでも誘わるる     (東京)
夢に見し足袋の穴つぎ秋時雨      小林みつ子
売れ残る真菰の馬や道の端         (東京)
戦後の日本のわずかな誇りは戦争をしない国ということだった。しかし支持率八〇%という小泉内閣のもとで、なにがなんでもアメリカの報復「戦争」に荷担することが「国際貢献」と呼ばれている。ゆゆしい事態というほかはない。テロに対してテロでは問題の解決にはなるまい。

戦あるかと幼な言葉の息白し   佐藤 鬼房
戦争を揺れず見ていて深む寒   古沢 太穂
俳句でも、戦後積み重ねてきた平和への希求が本物であったかどうか試される時であろう。なお太穂先生の作品は湾岸戦争の句。
根こそぎ折れる向日葵そして摩天楼 倉本岬

「鴎座」一〇月号同人作品のこの句は、そうしたいまの不安感を確かに書き留めている。

家系図の祖父より先は烏瓜    真木 麻子

いくら家系といっても、普通はだれもが祖父、祖母の記憶以上はないだろう。家系といってみても意外に現実感は薄い。だから「烏瓜」といわれてなんとなく納得する、共感する。今月の麻子さんの句は、「薄目してはは待ちており曼珠沙華」にしても「折合いをつけし父と子鰯雲」にしても、すべて血族への思いにつながる。「折り合いをつけし」がいまの父と子を軽妙にとらえている。
「鶏頭の影の屈折アフガンを」は冒頭に述べた平和について鶏頭に託して自己と重ね合わせている。「屈折」が深い。
  
本日はお日柄もよく稲の花    石口りんご

稲の花はその歳の豊作凶作に関わる。だからこそ「お日柄もよく」が、挨拶の決まり言葉を越えて胸を打つ。心情がこもった「お日柄も良く」なのだ。この句、農の思いが自己と一体化している秀作といいきる。
「郡上踊り闇にのけぞる大男」の、「大男」は観客としてはつまらない。踊っている男の具象としてまさに大きな句。「もろこしを剥くきゅるきゅると日曜日」も生活感がある。          

秋冷やかすかに魚の息を吐き   増田 萌子

作者の企図は「魚の」は「魚が」であろうか。しかしここは「私が魚のような息を吐いた」と解して味わい深い。これは読み手の問題だろうが、作者のを越えて俳句は「在る」だけに、「秋冷」と「私の息」とを重ねて解したい。
「朝蜘蛛や金運なくて夫がいて」は、朝蜘蛛は縁起がいい(お金が入る・客が来るなど)の俗信を踏まえて楽しい句。夫といればお金なんてなくったって、とは、歳とともになかなか言えないものなのだが。

マネキンの背丈の伸びる浴衣かな 小川侑子
 
この感覚は微妙、さっぱりと「浴衣かな」といって、ある形象を結ぶ。感覚だけではない姿が見えてくるところがある。これ以上は作品に書かれていないことを読むいわゆる深読みになるかもしれないが、「背丈が伸びる」から、いま流行の「ミニ浴衣」なども思ってしまう。
「草餅や月島熟女あるがまま」も月島の地名が効いている。「罪つくりカンナの花の厚化粧」は、「カンナ」と「厚化粧」は判りすぎ付き過ぎかも知れないが、さらに「罪つくり」といって、女の比喩にまで連想が広がる。「薫風のSL駅に小座布団」も「小座布団」の発見がなんともいい。
    
たこ焼きのソースが焼けて花八手  田辺 花
階段に冬日人口密度増す

この句のどこがいいというより、いずれも感性の良さなのだろう。「たこ焼きのソース」と「花八手」、「階段の冬日」と「人口密度」の取り合わせがいい。どれもどこにでもある場景が、さりげなく一句として詩情を豊かに奏でている。こうした句に出会えることが選者冥利だろうか。
もっとも「夫の留守薬味いらずの新豆腐」(原句=新豆腐薬味いらずの夫の留守)、「そのままでいい笑い皺蜜柑剥く」(原句=笑い皺これが良いのと蜜柑剥く)は、切り方が気になり少しづつ手を加えた。

秋うらら男爵いもも伯爵も     白石みずき

馬鈴薯の品種「男爵」の由来は知らないが、そこに伯爵まで出てきて明るい一句となった。「好きなように生きてるかしら烏瓜」も、自在な表現が楽しい。もっともいずれの句も、言葉で書いている(つまり叙述している)ために、もう一歩イメージを結ばない。言葉の楽しさを追求するのもいいだろうが、やはりどこかに写生が欲しいのだ。
その点では「東京タワーの明りいただく生姜市」が、やや幼くても、東京タワーの明りが、芝の生姜市に差し込んで姿となっている。 
      
木犀へ私鉄乗換え乗り継いで    鷲田 環

木犀の香りに誘われては普通の近所の光景、しかしこの句は「乗り換え乗り継いで」といって大きなふくらみを持った。「アフガンに銃持つ少年さくら蓼」も切実だが、もう少し形象化する工夫が欲しかった。
             
雨月の灯こぼし夫婦は別の趣味 谷口 久枝 

夫婦と言ってもある程度の距離が生まれることは、ままあること。趣味ならばなおさらだろうか。この句は「雨月の灯こぼし」が、あるいらだたしさを象徴しているかのようだが、雨の中にいる夫婦像とも重なって味わい深い。

名の自然足の大きく次郎柿   木谷はるか

次郎柿の足が大きいのだ。もちろん、そんなことはありえないが、次郎柿と呼べば自然と足の大きな男が見えてくるそんな一句なのだ。
「歳時記の月白のどこにわか雨」も歳時記に雨が降ってくるようで、大きな飛躍が楽しい。

穴惑いココアこっくり胃の腑まで  中野 由美無月にて探そう星のコンセント

「ココア」だから「こっくり」それが楽しい。「穴惑い」は蛇が冬眠するために「穴に入る」のだが、時期を過ぎても見かける蛇をいう。今日では多分に心理的な季語となってしまった。

その他、心に残った佳句をあげる。

とんぼうをふりかぶりきてふりかえる柳田芽衣
気負わない生き方へくそかずら咲く 倉本 岬
杜鵑草母とわたしにある黒子  古川 塔子 
かわらけを投げて晩夏の恋予感 杉浦 一枝
子離れよし親離れよし竹の春   堀越 鈴子
俳句三昧とは朝寝坊することか  北田はれ子
吾亦紅素描の母に触れている   斎田 史子
コスモスの万と揺れれば船酔す  石口  栄
沢桔梗時計のいらぬ一日なり  宮澤せい子
油画を読む高橋由一の鮭の朱  澤柳たか子
太陽の色をいただき烏瓜  金子 高遠    
亡き父母の婚の写真も帰省の夜  小高沙羅
火の色かいくさが匂う烏瓜     井戸 美子
秋収め足の爪切りこれっきり   村田紀久子
ありありと対岸彼岸野分跡     川村としえ
秋の十字架パウロ二世の言掲ぐ 田原 知子
歩に合せバッタ飛び散る千枚田 竹内志摩子
蕎麦咲いて大安曇野の風白し  野中 秀子
雨女今日もいるらし吾亦紅     柴 さわ子
しあわせは秋茄子よく煮えしこと 白石 菊代     


鴎座 2001年 12月          鴎座俳句会へ

鴎座作品       
強く弱く雨の来ている酔芙蓉            柳田 芽衣
ひらがなのつくだおおはしもみじちる           (東京)
薔薇の実の甘酸っぱくてあねいもと
さし石を撫でてやすらう鯊日和
木犀や人ら交わり淡く棲み             真木 麻子
今日も写るアフガンずんと冬が来て            (広島)
聖戦の記憶ひだるし草の絮
あお過ぎるコスモスの空智恵子抄
ポジションの深い浅いと案山子かな         石口りんご
枝豆やこめかみで聞く反抗期               (東京)
浜菊の生まれ育ちも鰺ヶ沢               
運転手に家号を告げる野菊道
鳥来るベルツ通りはしなやかで           宮沢せい子
骨太と骨細と立ち枯蓮                  (東京)
起きぬけの血圧測り柿落葉  
ポケットの電話ぷるぷる朴落葉
沢庵を噛むこめかみの二重奏            田辺  花
冬の霧「猿に注意」の右折かな              (東京)    宿り木のヘアピースして枯欅  
運命線器に深く蕪汁  
赤門の猫語なにぬね竜の玉             鷲田  環
体脂肪のたっぷりたっぷり山眠る             (東京)
お茶の花雨の斜めに父といる 
ゆっくりと大人になろうね冬青空
夕刊のことりふっくら栗ごはん     増田 萌子
一塩に秋刀魚開いて今日の空        (東京)
泥棒市ともサンダルの不揃いに    
月餠を買う列華人・日本人    
子の声のつつぬけてゆくちちろ虫    杉浦 一枝
大銀杏とて乳あるよ恋みくじ        (東京)
ぶらり旅秋の山見て手相見て  
絹雲やハーブの丘の花食べる    
夫婦ですイーハトーブの威銃      古川 塔子 
若者の夢捨てやすき賢治の忌        (東京)
素十の忌二足草鞋はきけんです
雨に雨ロザリオ祭のかすていら
空爆の世界地図買うひつじ雲      工藤眞智子
掲示板をコスモス囲む幼児の訃       (東京)
ピッコロの男見目よき流れ星 
秋彼岸故郷の山河供えけり     
枯蓮(がれはちす)への字くの字の重なりに     石口  栄
柿羊羹だ素通りできぬ店ばかり       (東京)
豆腐屋の水真四角に切るぬくみ    
霜柱踏みて足裏の磁気生れる
秋日落つ張学良は恋に落つ       北田はれ子
歳時記の「冬」に立子と晴子(はるこ)の句      (東京)
秋冷や竿売りが来るショパンの曲 
「夕焼けこやけ」点字の疲れ薄らぎぬ
残る蚊のひそみてをりぬ蕪村句碑    坂本あかね
長梯子据えて秋晴久しぶり         (栃木)
靴跡のひとつひとつへ冬来る雨 
帽深くすれ違いけり草は実に
実石榴のはじけて闇へアフガンへ   堀越 鈴子
山霧の音はオカリナ風と舞う        (東京)
舟歌の紅葉の一分酒田まで   
良夜なれ母のピアノと膝の子と
左手と右手の握手隙間風        田原 知子
枯萩を残しアパート解体す         (横浜)
前夜式はお通夜のこと
前夜式のお顔穏やか片時雨    
寒弾きギターの姿勢くずさぬフラメンコ
雨おんな雨に流れて零余子飯      関 千恵子
曼珠沙華空の高さに伊豆の海        (東京)
サーファーの波を抱いて裏返る
すっきりと秋になれない星のあり
東京の空を使いて柿生らす       金子 高遠
きざはしは時雨る気配弁天堂        (東京)
歌下手の口に凩まといつき   
富士もとろも拭いて車窓の小春かな
あわだち草電車とバスは平行に     小高 沙羅
柿届く一行のみのお礼状          (東京)
読み書きをおあずけ今日の秋の空
廻らない水車オカリナ秋空へ
紙漉きの紅とじこめては重       川村としえ
満月が杉の真上に猫抱いて         (栃木)
山栗落ちるどこまでも林の中
秋耕の危機一髪に雀跳ぶ   
山茶花の散り積む三増古戦場     伊藤 俊子
初宮の嬰深眠り銀杏散る          (横浜)
袴形(はかまなり)の主役不機嫌七五三        
偏差値より体力作り秋の天    
ちちろ鳴く瞑想長きホームレス     澤柳たか子
潮騒や捨田に伸びる葛の花         (東京)
味噌かもす大欅二百秋桜   
浜風や試飲よくきく濁り酒   
はぶらしの疲れし毛先神無月      木谷はるか
金婚や秋刀魚嫌いのそのままで      (さいたま)
身の丈に赤とんぼとびテロ映像 
肩幅の流れを跳んで草の花  
足摺の風なすままに野路の菊      池永 英子
熟柿やまだら惚けたる母のいて       (東京)
薄闇に飛沫となりて白き萩  
紀の善に秋の一句あり神楽坂 
コスモスの風のむくまま丈のほど    鹿島 正実
秋時雨掘り抜き井戸の絶え間なく      (横浜)
ガラス越し草ホトトギス雨の中
芋虫に行く手阻まれ庭なかば  
黒酢飴なめて咳込む白露の日      大村 恭子
秋暑しつじつま合す三重奏         (東京)
運動会の少し大きめ塩むすび  
その話ゆっくり聞きましょ生身魂
死に就きしやんまに風の起こりけり   久保 康輔
野菊摘むあらぶる海を真下に見       (島根)
小鳥来る昂ぶる声を天に曳き   
つぼみ千菊持つ色の見え初めし
銀杏を広いて匂い萩の道        吉田 志穂
ひと時雨封書の文字の滲みつつ       (横浜)
歩道まで紫式部たわわなり    
十三夜大きく崩し跳ねる鯉 
バス停に古椅子一つ秋の蝶       辻  今日
秋霖のライトの潤む対向車         (横浜)
砂礫ふむ須走牛蒡根の深き 
秋澄める飛行機雲の空濁し
冬夕焼ことりと音を落しゆく      白石みずき
体操の上がらぬ足や冬初め         (東京)
蛸杉の根の広がりや山初冬
顎つっぱりりんご大きめ捜すとも
水引きの花濡れしまま雨上がる     神津ふかし
秋日和干し竿売りの通りけり        (川崎)
布団干す木犀の香のいづこより
気紛れがもてはやされて返り花     井戸 美子
大学の銀杏並木を誰も掻く         (横浜)
ヤンママのへそ出しルック今日の秋
法師蝉せき立てられて育ちきし     湯浅よしみ
曼珠沙華遠くきらめき神輿ゆく       (東京)
頬撫でてゆく秋風や亡き父母の 
秋景色押し花に詰めのこる雲      村田紀久子
窓越しのプリズム現象雪の富士       (東京)
通草の実呼び合ふ鳥の睦まじき
白障子尊厳死なる死にどころ      野中 秀子
なかんずく彼の世の紅葉恐山        (東京)
幕下ろすむずかしき世や残り虫          
みだれ咲く萩の日だまり猫ごろん    森田 泰子
満月の差し込むところ枕あり        (東京)
車前草にそばの芽競ふ西蔵王   
伊豆下田店屋に金目大きな眼      岩田きみ江
宝福寺お吉ゆられし菊の花         (東京)
味噌樽の百年あとや月見客  
曼珠沙華風車のごとくひらきけり    久保 祥子
曼珠沙華一枝手折り訪ないぬ        (島根)
秋夕べ母の繰り言始まりぬ
神主の祝詞早口七五三         竹内志摩子
花芙蓉屋根までとどく長屋門        (横浜)
さんま好き頭と尾のみ残る皿
栗飯や三十路夫婦の食細し       谷口 久枝
出来秋のエンジンの音たそがれる      (横浜)
鍋の汁待たせ間引き菜ひとつかみ
石垣の隙間一輪石蕗の花        金子 一枝
草紅葉映しゆらゆら鯉の群れ        (横浜)
アフガンを聞かぬ日はなし暮の秋
一叢の穂の吹き上がる芒かな      佐野左右也
保安林ここより烏瓜垂れて         (東京)
とんぼうの倦まず見回る水たまり
漬物石腰の決まらぬ穴惑い       柴 さわ子
レプリカのダビデの像や小鳥来る      (東京)
紅葉燃ゆようやく見えて老の坂
秋深し制服のタイ直しあう       松村  朋
水に浮く一分の草の紅葉かな        (埼玉)
ひと駅の釣瓶落しを默し別る
金木犀は遠くへ言葉届けおり      三宅 優子
朝日射す木犀の日の遠くまで        (東京)
秋日和散歩は鳩とぽちぽちと
爽やかに自称棋士にて口で勝つ     鈴木二三江
湯に体あずけ瀬波の夕日吸う        (東京)
直系の堆朱の郷の菊一輪
冬の空星のむこうのそのむこう     長澤 義雄
冬の朝始めは白き富士を見て        (東京)
秋の風脳細胞をひとめぐり       白石 菊代
六十階窓いっぱいの街の秋         (東京)
舞茸に始まる論議酒の店        中野  鯨
走り根の靴の紐引く暮の秋        (さいたま)
迎え火にはしゃいでばかり盆の月    久保 貞子
藤袴雨に打たれず散りにけり        (東京)
広重の版画の江戸の秋の草       大貫ふじ子
龍門やとんぼと私と水しぶき        (東京)
太りぎみカーネルおじさん角の秋    江川 邑節
茶髪ママのエリンギ選び臍のぞく      (東京)
朝霧の攀じるや息の八合目       豊田 勝巳
三味線のロックの腰や秋の風        (東京)
せせらぎに秋陽のさして光りをり    大勝すみ子
小春日や空気のごとき夫とゐて       (東京)
ベルリンを東洋の風走りけり      矢部 清美
鰯雲出漁続く蜑(あま)の浜            (東京)
強く弱く雨の来ている酔芙蓉   柳田 芽衣

芙蓉の花はは一日で萎れてしまうため、はかないものの象徴であろう。なかでも酔芙蓉は白から紅に変わるため、より情感を誘う。しかしこの句は「強く弱く雨」といいきって情に流れず確かな像を結ぶ。これはレトリックだけではなかろう。強く確かに生きたいという意志がなければ、このような表現はできるものではない。
「ひらがなのつくだおおはしもみじちる」は、一転して技がある句だが、佃島に対する素直な感動伝わって嫌味がない。

今日も写るアフガンずんと冬が来て 真木麻子

 アフガニスタンへのアメリカの報復戦争は、毎日のように心を痛める。「ずんと冬が来て」はそうした思い。戦争の映像化は、いつでも現実を仮想のようにしてしまう。アフガンの人々の痛みを現実のものとして受け止めることは容易ではないが、この句はそうした対象にしっかりと挑戦している。
「聖戦の記憶ひだるし草の絮」の「聖戦」は、旧日本の「聖戦」だろうが、いまも「ジハード」といい、「無限の正義」といい戦争を合理化する。それが「ひだるし」に重なってくるのだ。「草の絮」の季語も地味ながら効いている。

ポジションの深い浅いと案山子かな石口りんご
枝豆やこめかみで聞く反抗期 
 この二句とも現代俳句協会のインターネット句会で好評だった句。たまたま十月(第七回)より私が「講評」を担当したので、それを引用する。
「案山子の位置を、野球などの「ポジション」と見た面白さです。しかしそれだけに終らずに「深い浅い」という表現によって、しっかりとした具象となっています。やや滑稽味もあって明るい句です。
ただこの場合切字の「かな」が、さほど効いていないように思えるところが残念です。」
「枝豆やこめかみで聞く反抗期、この句は「枝豆」を配合したことによって、家庭内のことと知れます。「こめかみで」という把握が、この一句の独自性を支えています。反抗期の子供(この場合は少年でしょうか)を持つ悩みも一時期のこと。子供を愛していればこその悩みなのです。ちなみに「こめかみ」は「目尻と耳の上の間にある物をかむと動く部分」ですが、もともとは「米を噛むと動くところ」というの意味から「こめかみ」という言葉が生まれました。ですから「枝豆」を噛みながらという場景が見えることも、この句の味わいなのです。(後略)」

鳥来るベルツ通りはしなやかで  宮沢せい子

ベルツ通りとはどこにあるのだろうか。それは判らなくても「鳥来る」と「しなやか」という措辞で好ましい街並が見えてくる。安易に「鳥渡る」などとしなかったことも、その柔らかな感性もいい。
なお、ベルツといえばある年以上の方には、あかぎれ薬の「ベルツ水」が思い出される。エルウィン・ベルツはドイツの医師、明治時代の東大医学部教師。戸田花と結婚し一九一三年、シュツットガルトで死去。
「骨太と骨細と立ち枯蓮」は写生が確かな句。原句「骨太も骨太も」の「も」を「と」としてみた。
「ポケットの電話ぷるぷる朴落葉」は、携帯電話のバイブレーションだろうが、そんな新しい事物を詩的に表現することも楽しいことだ。

沢庵を噛むこめかみの二重奏   田辺  花

沢庵をこりこりと噛む音と、こめかみの動く音との、明るい二重奏なのだ。石口りんごさんの句も「こめかみ」だったが、こちらは無条件に明るく楽しい。これも生活の詩情を豊かに詠い上げている。
「冬の霧「猿に注意」の右折かな」ちょっとした発見の面白さ。この句も原句「動物注意」を「猿に注意」と添削してみた。実際は「動物注意」の道路標識だろうが、それに拘ることもなかろう。こんどの吟行で青木村には「美人多しわき見運転注意」という表示もあた。              
  
赤門の猫語なにぬね竜の玉    鷲田  環

 「赤門」は東大の比喩(提喩)。だから猫の鳴き声もなんとはない感動となったのだろうか。「なにぬね竜の玉」と一息に読み下してのリズム感もいい。
「体脂肪のたっぷりたっぷり山眠る」も実感だろうか。「体脂肪」「体脂肪率」も新しい言葉。

夕刊のことりふっくら栗ごはん   増田 萌子

新聞配達は、時間を知らせてくれる。「ことり」「ふっくら」という擬音の重ねが栗ご飯の季節感とともに明るく響いてくる。「一塩に秋刀魚開いて今日の空」もしっかりとした生活感。

大銀杏とて乳あるよ恋みくじ    杉浦 一枝

銀杏の乳とは気根のこと。それを乳房とみることは必ずしも独自のとらえ方ではなく垂乳根などと呼ばれることも多い。大銀杏ならではの姿なのだ。神社などの恋みくじがそれに結び付けてあればなお情感をさそう。
「ぶらり旅秋の山見て手相見て」は「手相」と展開して車窓の景と知れる。その省略感が鮮やかだ。  
    
夫婦ですイーハトーブの威銃  古川 塔子 

イーハトーブは宮沢賢治が描いた一種の理想郷であろう。いまは岩手県花巻市の現実をそれに重ねてもいるようだ。そんな「イーハトーブ」で夫婦の刻を確かめあっているのだ。だからこそ「夫婦」ですの言い切りが出てきたのだろう。これもある年齢を重ねた夫婦のありよう。「威銃」の取り合わせが夫婦と重なって響きあっている。
なお、心に残った佳句をあげる。

空爆の世界地図買うひつじ雲  工藤眞智子
枯蓮への字くの字の重なりに    石口  栄
秋冷や竿売りが来るショパンの曲 北田はれ子
残る蚊のひそみてをりぬ蕪村句碑 本あかね
実石榴のはじけて闇へアフガンへ 堀越 鈴子
左手と右手の握手隙間風     田原 知子
雨おんな雨に流れて零余子飯  関 千恵子
東京の空を使いて柿生らす    金子 高遠
あわだち草電車とバスは平行に 小高 沙羅
満月が杉の真上に猫抱いて  川村としえ  
初宮の嬰深眠り銀杏散る    伊藤 俊子  
ちちろ鳴く瞑想長きホームレス 澤柳たか子
身の丈に赤とんぼとびテロ映像  木谷はるか
薄闇に飛沫となりて白き萩    池永 英子 
コスモスの風のむくまま丈のほど 鹿島 正実
黒酢飴なめて咳込む白露の日  大村 恭子
死に就きしやんまに風の起こりけり 久保康輔
ひと時雨封書の文字の滲みつつ 吉田 志穂
砂礫ふむ須走牛蒡根の深き    辻  今日
冬夕焼ことりと音を落しゆく    白石みずき
水引きの花濡れしまま雨上がる 神津ふかし