鴎 2000年5月
鴎俳句会へ
皐 月 抄
春の昼子苛めのごと布団打つ 山中 蛍火
清しさの春富士があり飛蚊症
友老いぬ鬚の三色に日向ぼこ
雪柳まみれに桜蘂掃かれ
少女死す山ふところの芹の飯 岡崎 万寿
つくしんぼ小百合まぶたの朗読詩
ふらここの軽い軋みよオペ手術の前
花ミモザ亡母の匂いの木のスプーン
| 鴎 作 品 選評 松田ひろむ | |
| 眺めゐし写楽に貰う春の風邪 松浦 釉 花の雨眠り足りたる日記書く 帝陵に残るも引くも鴨四五羽 蕨餅蒸す火加減は母のメモ 水質調査鴨の子育て中の池 「要支援」午後は桜に雨予報 小平 湖 下足札ほの字居酒屋鳥曇り 自転車の体感速度花の主婦 一日の計に犬曳き青き踏む 四時限の校長先生菊根分け 校庭の桜ひとりの調律師 倉本 岬 振り向いた姿勢崩さず春の鹿 惚け封じ謂れともかく花菜漬 付け直す喪服の釦花のよう |
・釉さん―「写楽に貰う春の風邪」とはなんと軽妙な句だろうか。こうした句は上手い下手というより、心が自由に開かれていないと出来ないもの。「眠り足りたる」も、苦しみを経てのいまの充実した人生のありようを見つめている。 ・湖さん―「要支援」は問題の介護保険なのだろうが、こうした社会的な句が自在に出てくることが好ましい。「下足札ほの字」の「ほ」はそれぞれだろうが普通は惚れたに通じる楽しさ。いずれも身辺をしっかりとみつめている。 ・岬さん―最近「惚け」を題材にすることが多いようだ。それをいかに自身の問題としてひきつけるかが共通の課題だろう。「謂れともかく」は軽い批判も含めつつ明るい。「調律師」も桜との対比が俳句の味を深めている。 |
| 花七分青土方の像と濡れ 佐々木らん 介護始む四月気温の折れ線に 蚕豆を皮ごと食べる立子の忌 餠つきのぱと放り込む蓬玉 師の遺影ほくろほろほろ花のなか 小高 沙羅 嫁姑花大根の咲く距離に 農継がず薫風園の屋号かな 花吹雪橋の由来のかすれ文字 花曇り船が船曳く隅田川 古川 塔子 普段着のだあれもいない朝桜 夫婦茶碗いつからか罅柳絮飛ぶ 囀れり欅一樹を止まり木に 「希望」という汽車の止まらぬ花の駅 能美 澄江 想い出は千切って白き蝶生まる 永き日や晶子の源氏みな老いぬ 花の雨水平に浮く一技濃し |
・らんさん―青土方は新撰組の土方歳三のことであろうが、「青」ととらえて新鮮。「介護」も「気温の折れ線」と具象化して成功した。「餠搗き」の句は多いものの、これは搗きこむはずの「蓬」を自分の口に入れたと、丁寧に見ているのだ。「ぱと」はこれもひとつの具象化への努力。 ・沙羅さん―身辺がいずれも明るく切り取られて好感が持てる。「薫風園」は板橋あたりにまだ残る果樹園を思わせるが、もちろんそうでなくてもかまわない、「農継がず」で現実感が出た。「嫁姑」も自身のこととしていいのだろう。「距離」としていいのだ。 ・塔子さん―どの句も、少し前までのたどたどしさが、すっかりなくなった。いいたいことが俳句として表現出来るようになったといえるだろう。これからの課題をいうよりも、自由な俳句でいいのだろう。「夫婦茶碗いつからか罅」は考えさせられる句だが、そんなに深刻には思えないところもまたいい。 ・澄江さん―感覚的な句が多かったが、今月の作品をまとめて読むと、「思い出は」「晶子の源氏」などやや回想へ傾く。普通は回想的な句は俗に流れることが多いが、この場合は「千切って」などきりっととらえていることがいい。 |
| ビー玉の色の飛びたつ夏はじめ 石口 光子 花の虻左右斜めに風つくり 3Eの足裏の風や野蒜摘む 信号を待つ間の花見一夫婦 魚板打つ女と寒し翁堂 荒井まり子 モーニングカップの欠けし花七分 破れ芭蕉見上げることも巴塚 銀杏の芽ボサノバ低く浜通り |
・光子さん―「3E」はスリーイーと読ませるのだろうか。これも現代のひとつ。他の句も柔軟な感覚が輝いている。「信号を待つ」は原句「老夫婦」で句会では採らなかったがこれを「一夫婦」と添削して見た。いかがだろうか。 ・まり子さん―伊賀・義仲寺など旅のなかでも「破れ芭蕉見上げる」はしっかりとした一句。「魚板打つ」は助詞の使い方のさまざまで、原句「女の」を「女と」にしてみた。一句にするにはいろいろな工夫がいるのだが、それが頭からではなく体から出てくることが大切。「ボサノバ通り」も「低く」がいいのだが、私のなかではまだ納まっていない。 |
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ママ水城店は富良里や鳥雲に 白石みずき |
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